<rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>NPO法人 サルボン （Salubong）</title><link>https://www.salubong.asia</link><description>サルボンは発展途上国で生活する人々の立場から、映画の制作上映、ワークショップなどを通して、日本とフィリピン、東南アジアの国々との国際理解、国際交流を図っています。</description><atom:link href="https://www.salubong.asia/rss.xml" rel="self" type="application/rss+xml"></atom:link><atom:link href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" rel="hub"></atom:link><item><title>戦後80年 日本・フィリピン合同慰霊祭</title><link>https://www.salubong.asia/pages/9605272/page_202602191443</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;敗戦から80年目の2025年4月に日比のフィリピン戦従軍兵の遺族会による国際合同慰霊祭を行いました。4月19日、20日の2日間、場所はバギオ市とアトック桜公園、ともにフィリピン、ベンゲット州です。日本側の遺族会は蒲郡の三か根山にある比島観音奉賛会です。フィリピン側の遺族会は米比軍USAFIP NL、バギオ・ベンゲット支部の方々で、若い方も多くいる団体です。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;報告書全文は以下のリンクで読むことができます。パスワードは &#34;salubong&#34; です。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://drive.google.com/file/d/1ZyUTo2fG0onQ9FNqSts07X8vE245J0Sk/view?usp=sharing&#34;&gt;戦後80年 日本・フィリピン合同慰霊祭 報告書&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://drive.google.com/file/d/1p5vhKmcR4vai81FSvWn3mzeTN7Rz7sz-/view?usp=sharing&#34;&gt;Report in English&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;以下は報告書からの抜粋です。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/ee8025dd58a3b1e0f1d63f946458c5e8_ec163e288760c21e8fb069892ba9a191.jpg?width=960&#34; 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width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;序文&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;ご遺族たちによる日比合同慰霊祭&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;1945年8月、日本に2発の原子爆弾が投下され、天皇陛下はついに連合軍への無条件降伏に同意しました。当時、大日本帝国は天皇神聖の国家でした。帝国臣民は帝国の行く末、つまりは天皇陛下の存続を憂慮しました。アメリカ合衆国軍大将ダグラス・マッカーサーは思案の末に、天皇を実権を持たない国民の象徴として存続させ、国民はマッカーサーに大いに感謝しました。大日本帝国憲法の主権は天皇から国民主権という馴染みのないあり方に変わり、新しい日本国憲法が敢行されたのです。しかし国民は、国民主権という聞きなれない言葉の意味が分からず、民主主義とはどういうものかが分からないまま、荒廃した日本の戦後が始まったのでした。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;そして大日本帝国の敗戦から5年後に朝鮮戦争が勃発。アメリカは日本を共産主義の防波堤にするために、大日本帝国時代の財閥や政治家、その配下の活動家たちを戦犯から蘇生させてしまいました。結局新生日本はアメリカの兵站拠点になり、日本経済はまさかの急成長を遂げます。まんまと燐家の戦で私腹を肥やした、これを朝鮮特需と言われました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;日本人は子供を沢山産み、何も考えずに懸命に働きます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;その間の1955年から1973年までを、日本の高度経済成長と言われました。国民は、日本が始めた戦争、2000万人以上が亡くなったアジア太平洋戦争を振り返る暇もなく、ひたすら生活向上に邁進してきました。そして今、戦争体験者の多くが他界し、日本がやってしまった戦争の実相を何も知らない高齢者と、まったく興味のない若者が、成長しなくなった日本経済を嘆いています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;残念ながら、日本とアジア諸国の間の歴史認識には、少なからず隔たりがあります。かつて日本がやらかしてしまった戦争の歴史を知ろうともしないで、他国を蔑視する日本人が増えました。このままではアジアの人々と友好関係を育むことは難しいのではないか。日本のアニメ人気ばかりに頼ってはいられません。直ぐに効く解決策は見当たりませんが、まずは日本国民が、日本がやらかしてしまった戦争の事実を知ろうとする事が大切なんじゃないでしょうか。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;ある日私は、フィリピン、ベンゲット州の若者たちが力を合わせて自主制作し、日比両国の若い兵士が命懸けで戦った北ルソン戦のドキュメンタリードラマの映画「ノーウェアー、イェット、エブリウェアー」を観ました。その時、この映画を両国兵士の遺族たちが一緒に鑑賞する交流会をやったらどうだろうかと思い立ちました。こんな戦争の事実を真摯に編み込んだドキュメンタリー映画は、きっと新しい好奇心を生むだろう。関係者の理解も増幅するだろうと思いました。戦っている両国の兵士たちは、ともかく与えられた命令に従って、無理やり相手に牙をむいて戦っているだけでした。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;日本兵の遺族は、戦った相手が米兵ではなくフィリピン兵だった事を知り、フィリピン兵が愛する家族や故郷のために懸命に戦っていた事を知りました。フィリピン兵の遺族は、故郷から遠く離れた異国の地で、食料も弾薬の補給もないまま、みじめな持久戦を戦わなければならなかった若い日本兵を知ったのでした。合同慰霊祭を通して、互いの誤解や聞き間違いを少しずつ修正し、戦争の真実を学ぶことができれば、必ずお互いが理解し合えると私は信じます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;2025年&#x9;11月 &#x9;今泉光司&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;謝辞&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;第一部司会　フィリピン大学バギオ校教授&amp;nbsp;&amp;nbsp;ジミー・フォン&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;皆様おはようございます！ようこそ対日戦争従軍兵士のメモリアルパークにお越しいただきました。これから日本とフィリピンのご遺族たちと共に第1回合同慰霊祭を挙行いたします。この合同慰霊祭は、第二次世界大戦終結80周年を記念するものです。2025年は、第二次世界大戦終結80周年という節目の年です。太平洋戦争中は多くの兵士や民間人が亡くなった悲惨な時代でした。約52万人の日本人、約1万5千人のアメリカ兵が亡くなり、終戦間際その多くがこの北ルソン山岳地帯で亡くなりました。そしてフィリピン人は日本人の倍、約111万人が亡くなっています。フィリピンの島々は日米戦の戦場でした。おびただしい数の人々が亡くなりましたが、私たちは死んだ人々の物語を知りません。ですから、今日私たちは彼らを偲び、私たちの歴史の不幸な出来事の物語を語り継いでいきたいと思います。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;本日のこの第 1回合同慰霊祭には、バギオ市のベンジャミン・マガロン市長も参加しています。大日本帝国陸軍の子孫と関係者には、会長の亀井亘氏、玉田充氏、鈴木正男氏、山田孝幸氏、田代昭雄氏、大崎正治氏、中村永大氏、倉津幸代氏がいます。また、フィリピン米軍北ルソン（USAFIP NL）バギオ・ベンゲット支部会長のテレサ・ポマール女史、ありがとうございます。またベンゲット州カパンガン出身の日系人フロール・シゲトミ・カルシさんにもようこそおいでくださいました。またイフガオ州チノック、ワンワン村の村長ボニファシオ・デュマノプさん。そして大変興味深い話があります。長年イフガオ州のワンワン村を支援してきた日本の遺族会の亀井会長を、村の正式な養子として迎え入れました。北ルソン日本人会会長の佐々木祐二氏にも感謝申し上げます。フィリピン国軍の勇敢勲章受賞者、アリエル・ケルビン氏もありがとうございます。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/60854d36f716bab49629bd5767b6ab6e_327c3f1eaf7dd7b3f793a05efbadb339.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;平和記念式典テーマソングを歌う&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;ジミー・フォン：&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私たちはこれまでも、慰霊祭の式典でこのテーマ曲を歌ってきました。日本人ご遺族の皆さん、そして今日ここにいらっしゃる皆さんと一緒に歌うのは今回が初めてです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;[会場にOpen Handsの録音が響く]&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;オープンハンズ　「両手を開いて」&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;作詞作曲：ジョーイ・アヤラ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　ここに私の妹と弟がいます&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　今が私たちに残された唯一の時間です&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　私たちは開かれた手で作られた庭にいる&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　平和こそが花のように集まる唯一の理由&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　平和こそが私たちが立ち上がるために必要なすべてである&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　私たちは両手を広げて作った庭のようです&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　コーラス：&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　　　　平和はここにあり、平和だ、私たちは知っている&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　　　　まるで庭のようです&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　　　　私たちが蒔くもの&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　　　　両手を広げて&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　　　　そして心を開く、そして心を開く&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　夢やビジョンを共有することで私たちは強くなり、&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　知っていることを共有することでより豊かになります&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　自分たちが作ったものを心を込めて大切にします&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　平和とは、苦しみの中でも愛することです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　平和とは、蒔いた種を刈り取ることです&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　平和とは、両手を広げて生きることです&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　 （コーラス繰り返し）&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=g9VQVzlghGA&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/g9VQVzlghGA/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;追悼演説 より&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;USAFIP NL 第16歩兵連隊の息子娘の会会長 テレサ・ポマール夫人&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;おはようございます、皆さん。ここにいる日本軍のご遺族たち、そして私たちとともに世界平和を祝っている皆さんおはようございます。今、日本軍兵士の子孫たちが、私たち米比軍北ルソン、従軍兵士の子孫と共にいます。もう70歳をとうに超えた方々ですが、私は日本軍戦死者の遺族の方々に会えて大変光栄です。そして今日、多くの米比軍北ルソン従軍兵士の遺族にも会えて大変うれしい。こちらも60歳以上が増えました。私自身も70歳を超えています。今日、米比軍の遺族会の皆さんもここに来てくれたことを大変うれしく思います。あなた達の祖先が戦った、大日本帝国軍の子孫が、今日ここに来ることを知っていたからです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私たち米比軍北ルソン兵の遺族たちは、日本の皆さんがここに来てくださることを大変嬉しく、光栄に思っています。皆さんが会いに来てくれたことは、より一層暖かい、友情の気持ちを感じます。私たち日本人とフィリピン人の戦没者遺族、息子や娘たちが、こうして一緒にいられるこのような機会を得られるとは、私は思ってもいませんでした。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;第二次世界大戦について多くの話を聞きました。私たちは今でもこの民主主義と自由を享受して、幸せに暮らしています。また、私たちの親戚、友人、同胞の中にも日本で働いている人がいて、とても幸せを感じています。その中には、戦死者の息子や娘、あるいは退役軍人の子孫もおり、皆ここ北ルソンに住んでいます。私はここで会っていて、そういう人を何人も知っています。彼らの中には、日本人に帰化して日本に行った人もいて、これも私たちは光栄に思い、幸せを感じています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;戦争中に一部の日本兵は市民に対して誠意をもって接していてくれたことを謙虚に認めたい。ですから、私たちは戦争中の日本兵のすべて悪かったとは言えません。良いことも悪いこともあった。第二次世界大戦中ですから。もしそれが日本人とフィリピンの間だけの問題だったら、私たちはあまり幸せではないと思います。しかし今は、私たちが隣人であり、良き友人です。日本とフィリピンの両方で、自由と平和が秩序あるなかで、私たちは暮らしている。それを示すこと、私たちの人生の一部になっています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;亀井会長、バギオ市のマガロン市長、そして数少ない第二次世界大戦退役軍人の一人であるエルネスト・ルイス氏、そして同じく日本人の娘であるもう一人のお母さん、日系人のフローラさん。そしてもちろん、皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。神のご加護がありますように。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/bee19eba120569361e1c0725c25abb28_e98f806df8f1a4edbccf06ef45b61cdf.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;追悼演説 より&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;比島観音奉賛会（フィリピン戦没者遺族会）会長&amp;nbsp;亀井亘&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;皆様、こんにちは。フィリピンの戦争で亡くなった全ての方々を追悼いたします。フィリピンにはルソン島だけでなく、レイテ島、セブ島、ミンダナオ島など多くの島があります。それぞれの島で戦争で亡くなった方々を追悼するとともに、戦争で亡くなったフィリピン兵やアメリカ兵にも敬意を表しています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;毎年4月には、日本全国から遺族が集まり、慰霊祭が行われます。皆あの戦争への深い反省と真摯な思いを込めて、慰霊祭を執り行っています。戦争の厳しさ、苦しみ、悲しみを決して忘れないよう、私は死ぬまでこの思いを伝え続けていきたいと思います。ありがとうございました。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/9bb9e8317fe5fff023b3e0605d6ff334_34117ca472d279b46facc7288f21b702.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;追悼演説 より&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;バギオ市長&amp;nbsp; ベンジャミン・マガロン&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;フィリピン人と日本人の第二次世界大戦退役軍人の遺族の方々、今日、私たちは戦争の原因を記憶するためだけでなく、戦争の勝利によって生き、そして命を落とした人々の勇気、犠牲、そして人間性を称えるために集まりました。第二次世界大戦終結から80年が経ちましたが、戦争の参加者は今も私たちの共通の歴史を形作り続け、その教訓は今日に至るまで意義深いものです。これは神聖な機会であり、フィリピン兵、日本兵、そしてアメリカ兵を偲ぶ追悼の瞬間であると同時に、和解と結束の瞬間でもあります。癒しの時です。かつて紛争によって分断されていた同じ世代が、平和と歴史、そしてこのような恐怖が二度と繰り返されない世界を築こうという強い願いによって今、一つにまとまっていることを知り、私たちは謙虚な気持ちになります。ですから、戦争の混乱に巻き込まれながらも勇敢に戦ったフィリピン兵、日本兵、そしてアメリカ兵に厳粛な敬意を表し、彼らの人間性を認めたいと思います。この記念碑を過去を振り返るだけでなく、平和を維持し、正義を守り、両国民間の理解を育むための呼びかけとしましょう。あの時代に流されたすべての涙に、私たちは、希望と思いやりを与えてくれるかもしれません。私たち皆が、腐敗と腐敗した政治指導者の貪欲から生じる現代の不正と戦うための道具となりますように。誠実に奉仕したいという願いと、清く健全な良心を持った指導者を任命して、不幸な同胞の間での搾取を終わらせましょう。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私たちが記憶を称える退役軍人とその家族に、私たちは物語を伝え続けます。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/1902d81fbff3bfb9bc932186bda64063_9f15bb5d325d344a51d8a29e37595f66.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;映画鑑賞&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;ジミー・フォン：&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;ここで、本日の式典を企画するきっかけとなった映画に敬意を表したいと思います。これは10年以上前に地元の若者たちによって自主制作されたドキュメンタリー映画「Nowhere Yet Everywhere」という映画です。この慰霊祭の発案者、今泉光司氏はこの映画を見て、この合同慰霊祭を企画されました。また、今泉氏はこの街で映画「アボン：小さな家」という劇映画を制作し、市内の住民数名が出演し、世界中の映画祭で上映されました。&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;今泉監督は、『Nowhere Yet Everywhere』の監督、デイブ・モンテス氏に感謝状を贈呈します。この映画『Nowhere Yet Everywhere』の制作チームの皆様に感謝の意を表したいと思います。私たちの傍らには、本日の写真家兼ドキュメンタリー担当のレイネルとグラディスがいます。彼らはこのドキュメンタリー映画の制作チームの一員です。今日午後、キャンプ・アレンでこの映画を鑑賞します。&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;映画について&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;「ノーウェアー、イェット、エブリウェアー、第66歩兵隊の知られざる物語」は、地元の歴史上最も痛ましくも重大な出来事の1つである、北ルソン島の人々が経験した第二次世界大戦の物語を伝える2時間のビデオドキュメンタリー映画です。&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;この映画は、記録に残されていない先住民のゲリラ運動への参加、特にベンゲット州で組織されたイゴロト先住民の若者を主体とする第66歩兵連隊への活動を紹介するものです。フィリピンにおける日本軍占領という極めて重要な時期における、彼らの主要な任務と活動に焦点を当てています。&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=F18I5CQvVlA&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/F18I5CQvVlA/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;平和交流会&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;司会：クリスティーナ・S・アバン（NGOイヤマン創設者代表)&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;これからは、（今泉）こうじさんが「平和交流」と呼んでいるものを続けます。フィリピン側と日本側が交互に登場します。皆さんの前に出て、それぞれの先祖について、どこでどのように戦ったか、両親や祖父母から聞いた話などを共有してください。何でも構いません。ぜひ、あなたの先祖について話してください。歌でも、踊りでも、面白い話でも、あなたの気持ちを表現できるものなら何でも構いません。どんどん話を続けてください。まずはフィリピン側から話し、その後、日本側の話を聞きます。恐れる必要はありません。お互いに分かち合いましょう。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/c160c5073d7afecd38589a9500f4377f_39b92872cb607b0a2d84329202a2c62c.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;平和交流会より&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;エミリー・ディゾン：USAFIP-NL バギオ支部の公設秘&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;昔の、たぶん1990年代の退役軍人について少しお話ししたいと思います。当時、私は髪の毛がとても薄く、男の子のような見た目で、Tシャツと短パンでした。4歳か5歳くらいの頃、3人の退役軍人が私が女の子か男の子か賭けをしていました。一人の退役軍人が「ああ、女の子だ」と言いましたが、もう一人の退役軍人は「いや、男の子だ」と言いました。すると、そのうちの一人が「よし、確かめてみよう」と言いました。すると突然、その退役軍人が私の短パンを引き下ろして「女の子だ！膣だ！」と叫びました。今日皆さんにご披露したいお話は、この話です。結局、もう一人の退役軍人が勝ちました。私を男の子だと思ったもう一人の退役軍人は、あそこのリサイクルショップでたくさんの短パンを買いました。つまり、もう一人の退役軍人が賭けに勝ったのですが、彼に報酬が支払われたかどうかは分かりません。私が知っているのはそれだけです。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;b&gt;&lt;br&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;亀井亘：フィリピン戦没者慰霊協会会長&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私は現在の韓国で生まれました。父は旅館を経営し、母は父と一緒に働いていました。ですから、韓国も故郷だと思っています。日本にも多くの友人がいますが、韓国にもたくさん友人がいます。父はボントック（フィリピン、マウンテン州）での戦闘で亡くなりました。私たちはボントックとワンワン（フィリピン、イフガオ州ティノックの村）でボランティア活動をしました。ですから、フィリピンには160回ほど来ました。フィリピンにも多くの友人がいます。フィリピンはすでに私の故郷でもあります。本当にありがとうございます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;亀井さんは「ここに幸あり」を歌いました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　君を頼りに　私は生きる&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　ここに幸あり　青い空&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;フェルディナンド・ピナンガット医師：USAFIP-NL バギオ支部理事会&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父が第二次世界大戦中の日本軍の功績を語っていた頃、私はまだよちよち歩きの幼児でした。当時は小さかったので、その話の重要性も理解していなかったので、あまり興味がありませんでした。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;覚えている面白い話は、以前、戦時中は「日本軍が来るぞ！来たぞ！」と叫んで、皆、特に女の子たちは山へ逃げたということです。しかし今では、日本人がフィリピンに来ると「日本人が来たぞ！」と叫んで、女の子たちは日本人の男に向かって走っていくそうです。日本人はとても裕福だからです。冗談はさておき、私が本当に覚えているのは、私たちの父が映画で見たように、戦争の話を聞かせてくれた場面には、ベサン峠の戦いで兵士たちが苦闘する場面がありました。映画では「人間の梯子」が作られ、（日本軍が占拠していた丘の攻略）父は自分がその梯子の一部だったと言っていました。父はそこにいたのです。父がその話をしてくれた時、私は映画を見ていないので分かりません。今になって初めて映画を見て分かりました。そして、父の言葉は真実でした。映画にその場面があったからです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父がその話をしている時、誰かが「その時、あなたは人間の梯子のどこにいたのですか？」と尋ねたと思います。父は一番上にいたと答えました。「人間の梯子を想像できますか？梯子の一番下にいた人が、すべての重量を担わなければならないのです。」父が私に話していたことが真実だと今になって気づきました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私が覚えているのはほんの短い話で、父は長い話をたくさん持っていて、ラ・ウニオンまで下り、ベンゲットの様々な地域で戦い、再び上っていった。彼らの努力を語り尽くしていたことを知りました。特に「人間はしご」は覚えています。本当にありがとうございました。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;山田孝幸：大日本帝国軍人の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父はバギオの北21キロで亡くなったと言われています。日本兵たちはなぜフィリピンに来て戦争をしなければならなかったのか理解していませんでした。天皇と上官の命令に従い、知らず知らずのうちにフィリピン人と死闘を繰り広げたのです。父は私がまだ母のお腹の中にいる間にフィリピンに送られました。日本兵たちは本当は人を殺したくなかったのだと思います。しかし、戦争ですから、命令が下れば敵として殺し合わざるを得なかったのです。日本兵たちは本当に平和を望んでいたのだと思います。日本の農民が作った米作りの歌を歌います。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;歌：&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　お米作りはよ　辛いもんだよ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　秋の実りにゃよ　風（台風）が吹くよ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　シラス（火山灰）畑にゃよ　唐芋いけよ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　風が吹いたとてさ　土の中よ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　シラス畑のよ　百姓の願いは&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　二度と戦せぬ　日本の国よ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt; &lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父がフィリピン人と戦っていたとは知りませんでした。アメリカ兵と戦っていたとばかり思っていたのです。映画を見て、フィリピン人がどのように戦っていたのか、新たな発見がありました。日本とフィリピンの関係をより深く理解することができました。日本兵がフィリピン人に多大な迷惑をかけていたことも知りました。映画から学ぶことができました。本当にありがとうございました。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;マリベル・カリス：フィリピン戦争退役軍人の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父は私が6歳の時に亡くなりました。そのため、父から直接話を聞くことはできませんでしたが、兄や姉から父に関するいくつかの話を聞きました。父はサバランのカモグ地区で多くの日本人を殺しました。そこでは多くの戦闘が繰り広げられていました。戦後、父は日本の歌を覚え、叔父も父からそれを習いました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;ベンゲットのイバロイ族の間で最もよく知られている話は、かつてイバロイの退役軍人が日本軍に捕らえられたというものです。彼は日本軍に殺されるか処刑されるかの瀬戸際にありました。しかし、彼はまず日本兵に歌を歌わせてほしいと頼みました。そして彼は歌を歌い、その内容はこうです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　「カラホ・カイト、タテロ・イラ」&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;　　　（イバロイ語：同志諸君、来い、彼らは3人だけだ）&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;彼はそれを繰り返します。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;つまり、彼は実際にその地域に潜伏していた仲間のイバロイ兵たちに攻撃を呼びかけていたのです。その時日本兵は3人しかいなかったのです。それで、歌を聞いたイバロイ兵たちはやって来て、日本人を襲撃し、殺害し、仲間を救ったのです。冗談だと思っていましたが、2年前にサブランで行われた戦没者慰霊碑の式典で、退役軍人の一人がベッサン峠で実際に起こったと証言しました。ありがとうございます。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;田代昭雄さん：日本兵の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私の父は北朝鮮という場所でロシア国防軍に勤務していました。しかし、日本の家で家計を支える人が亡くなりました。父は除隊となり、帰国して母と結婚し、私が生まれました。私が生後2ヶ月の時、父は北朝鮮の部隊に送り返されました。父はもう戦争には行きたくないと言っていました。もう戦いたくない。しかし軍に抵抗できず、戦場に呼び戻されました。そして1944年、父はフィリピンに配属され、サンフェルナンドのリンガエンに上陸しました。父はバギオに行き、皆さんの父親であるゲリラと戦いました。バギオやアバタンに駐屯し、マンカヤンの三井鉱山を守備していました。その後、ベサン峠が陥落し、父の部隊はブギアスに撤退しました。父はそこで戦死しました。ブギアスで父は大尉として攻撃を指揮しました。弾薬がなかったので、戦わずに帰還しました。それで、父は命令に背いたために殺されたのです。生き残った部下からその話を聞きました。父は責任を負っていたから殺されたのだと思います。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私は40年間、毎年慰霊祭に通っています。日本は80年間戦争をしていません。80年間、これからもずっと続けていきたい。これからも通い続けたいと思っています。ありがとうございます。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;エリザベス・デュアガン：フィリピン戦争退役軍人の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;これは物語ではありませんが、今日見た映画にとても感動しました。映画を観ている間ずっと、祖父が傷ついた兵士で、とても恋しいので、感情が溢れていました。祖父が亡くなった時、私は小学6年生だったと思います。第二次世界大戦の話はほとんど覚えていません。しかし、彼はいつも戦争の話をしてくれました。私が少し前に見た物語は、ラ・トリニダードで語られていたので、彼は第3大隊にいたと思います。以前、彼はラ・トリニダードに住んでいたという話をしていました。だから私たちはいつも、彼がなぜラ・トリニダードを去り、なぜボコドの山岳地帯に住むことを選んだのかと冗談を言います。ボコドは貧しいです。もし彼がラ・トリニダードに残っていたら、裕福だったかもしれません。ラ・トリニダードは豊かな町ですから。しかし、彼は日本兵から逃げるためにラ・トリニダードを去ったのです。映画を見ながら、彼らの勇敢さを目の当たりにしました。彼らはひどい飢えに苦しみながらも、戦いに勝つために努力しました。私はあそこにいる祖父のために祈っています。とても寂しいですし、彼の勇気に心から感心しています。だからこそ私はUSAFIP NLを代表してここに立っています。本当にありがとうございます。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;中村永大：日本兵の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;こんにちは、みんな。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父は1945年6月22日にマンカヤンで亡くなりました。私は1944年10月に生まれました。それから2ヶ月も経たないうちに、父は北朝鮮からルソン島へ移送されました。父は私が生まれてから50日後に戦場へ行ったので、父との楽しい思い出は全くなく、何も話すことができませんので失礼します。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;アベロ・ピナンガット：フィリピン戦争退役軍人の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父はベサン峠で戦った兵士で、そこで片目を失いました。戦後、私たち皆と同じように、父は大きな夢を抱いていました。父は学業を続け、教育学の学士号を取得しました。父は友好的な性格だったので、戦後は日本兵と多くの友人になりました。私たちの土地の周りには日本の宝物がたくさん隠されていたのだと思います。だからこそ、多くの日本人が（戦死した日本兵の）骨を探すためではなく、宝物を探すために帰ってくるのです。父は生来友好的な性格でしたが、だからこそ日本人にもとても親切でした。父は日本人が宝の地図をくれることを期待していましたが、私たちが裕福ではないので、もちろん地図はありませんでした。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;日本の皆さんが私たちの国を助けてくださり、私たちはずっと友達でした。こうしてまた日本人が来て私たちと友達になってくださり、本当に嬉しく思います。神様の祝福がありますように。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;玉田充：日本兵の子孫&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;父がマニラ地域にいたことだけは分かっていましたが、あとは分からなかった。父の戦友が1980年頃に調べてくれて、その時初めて父がどこで戦死したのかを知りました。父はラ・トリニダードで負傷しました。父がブギアスに送られたことを知ったのは1981年になってからでした。それ以来、何度も弔問に訪れています。ありがとうございます。そして、お悔やみ申し上げます。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/68e471c97b7aa310a9fc42f49001bbda_45337626e912184801ee24f480000bf2.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;閉会の辞&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;イフガオ州ティノック町ワンワン村 村長&amp;nbsp;&amp;nbsp;ボニファシオ・デュマノップ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;こんにちは。本日ご列席の皆様、ご来賓の皆様、日本人の皆様、フィリピンの皆様、そして国際社会の皆様に心よりご挨拶申し上げます。私はボニファシオ・ドゥマノップです。退役軍人の誇り高き息子であり、現在はイフガオ州ティノック町に位置する、平和で慎ましやかなワンワン村の村長を務めています。この荘厳で意義深い式典に、コミュニティを代表して皆様の前に立つことを大変光栄に思います。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;第二次世界大戦終結80周年を迎え、私たちは戦争で失われた数えきれない命を追悼し、哀悼の意を表します。80年が経ちましたが、戦争の記憶は今も私たちの中に生き続け、その苦しみを目の当たりにした先人たちの思いが、今も私たちの心に響き続けています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;実はワンワン村は、終戦前の数か月間、大日本帝国軍の総司令官山下奉文大将が最後の数か月間潜伏していた村でした。1950年代、私たちの村は深い恐怖の時代を経験しました。見知らぬ大男、見知らぬ人が私たちの村に入り込んできたのです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私たちの静かなコミュニティで、彼らは何かを探しをしていたと考えられており、おそらく戦利品の財宝を探していたのでしょう。彼らの存在は、戦争の傷からまだ立ち直れず、外部の人間に慣れていなかった村の人々を恐怖に陥れました。これらの記憶は私たちの心に深く刻まれ、紛争が残した長い影を思い起こさせます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;しかし、時が進むにつれ、私たちも歩みを進めます。平和の手が山奥の最も僻地にまで届きました。戦争によって引き裂かれた関係が、親切、謙虚さ、そして理解の行為によって修復される様子を私たちは目の当たりにしました。今日、私たちは、開発プロジェクト、災害救援、教育プログラム、そして地域に根ざした取り組みを通して、フィリピンの復興を支援する日本の真摯な努力を高く評価します。日本は寛大な隣国であるだけでなく、平和における真の友であることを証明してきました。そして、私たちのコミュニティにおいても、この友情は、亀井亘氏という素晴らしい人物を通して実現しました。亀井氏は長年にわたり、ワンワン村の献身的な支援者でありました。人々の生活の中に支援する事柄を探し出し、その救済をもたらすために、たゆまぬ努力を続けられました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;亀井さんが初めてワンワンを訪ねてきた時、私たちは本当に恥ずかしかったのを今でも覚えています。どう彼に近づき、どう接したらいいのか全く分かりませんでした。でも幸運なことに、彼の優しさに触れることができました。そして、最終的には、ただの友達ではなく、親しい友人になったのです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;私たちの深い感謝の気持ちを表すため、2023年12月26日、わが村の人々は一丸となり、ついに亀井亘氏を私たちのコミュニティの正式な息子として迎え入れました。これは、会議を招集し、それが正しかったのか、良くなかったのか、亀井さんだけでなく、日本の友人たちにも、コミュニティを支援してくれる日本の友人たちへの感謝の気持ちを示すために何をすべきかを議論することで実現しました。そしてその日、コミュニティの大多数の人々が亀井亘氏をワンワン村の息子として迎え入れることに決定し、亀井氏の名前を「リドゥン」と名付けました。私たちは亀井氏を単なる訪問者や協力者としてではなく、家族の一員として迎え入れました。彼の献身と優しさは、今日の日本が象徴するもの、すなわち平和、思いやり、そして他者の向上を支援する、献身を象徴しています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;戦争という悲劇的な原因を思い起こすとともに、この式典を、私たちがどれほど遠くまで来たかを、祝う機会としましょう。恐怖から友情へ、沈黙から連帯へ、痛みからパートナーシップへ。日本の友人の皆様、ありがとうございます。平和と和解への揺るぎないご尽力に感謝いたします。ワンワン村の人々は、癒しは可能であり最も思いがけない場所で花開く、ということの生きた証しです。この日が、過去を決して忘れてはならないと同時に、より明るい未来のために努力をやめてはならないことを、私たちに思い出させてくれます。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/93586663e86e45f77a3effe8067b3943_c8eec59f67322d09b6da8442c4fb8b64.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/9d254fa3f4e1bd9306cef1b3610dc38e_00b3667e1fb466676187a76fd2c3a86a.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/18fa2fca30d6f28bae54dfc9e87a07c1_3691baf32d3de5926af044056235e3ae.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームに戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Thu, 19 Feb 2026 05:44:03 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/9605272/page_202602191443</guid></item><item><title>サルボンからのお知らせ</title><link>https://www.salubong.asia/pages/8719175/page_202502151438</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;NPO法人サルボンの今泉光司です。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;&lt;br&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;全国どこへでも映画の無料上映会を行っています。上映作品は次の作品です。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;①　日比協働制作劇映画「アボン小さい家」111分　日本語字幕（サルボン制作）　&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;②　自然農法ドキュメンタリー「地球で生きるために、福岡正信インドへ行く」60分日本語字幕　（サルボン制作）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;③&amp;nbsp; &amp;nbsp; 反原爆映画の決定版「ヒロシマナガサキ」86分日本語字幕 （監督・制作者から許可を経て無料上映会を行っています）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;④ 「ヒロシマ・声 | イ・ジョングン」（NPOアント₋広島の制作者から許可を得て無料上映会を行っています）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;ご希望によりどの映画も解説をいたします。一人でも多くの方に観て理解していただきたい作品です。映画は観てもらわなければ価値がありません。どうか映画を皆様の活動にもご活用ください。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;P.S.&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;サルボンでは、昨年から北ルソンのバギオ市で、年2回、大日本帝国軍と戦った米比軍兵士の遺族と日本兵の遺族の合同慰霊祭を主宰しています。どなたでも参加できます。次回の慰霊祭は12月13日ごろです。詳しくはサルボンにメールでお問い合わせください。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;NPO法人サルボン　映画監督　今泉光司&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;〒111-0041　東京都台東区元浅草4－8－5　&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;imakoji2@gmail.com&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2 class=&#34;&#34;&gt;2026年4月27日、バギオ市キャンプアレンでの、「第２回日比合同慰霊祭　歌と踊りの祭典」の記録動画をユーチューブにアップロードしました。日本語版と英語版があります。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=D4fn0l5lO48&#34;&gt;第２回日比合同慰霊祭　歌と踊りの祭典　2026年4月27日　バギオ市キャンプアレン&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=0wK3RgccoE0&#34;&gt;The 2nd Japan-Philippines Joint Memorial Service: A Festival of Song and Dance&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;第2回日本-フィリピン合同慰霊祭&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;フィリピン米比軍ご遺族100名との交流会&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;2026年4月27日午後12時~19時&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;フィリピン、バギオ市&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;キャンプアレン内ヒーローズホール&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;現地集合、参加自由ですが、予約が必要です。&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;予約・問い合わせ&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;NPOサルボン03－3843－0876　&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;imakoji2@gmail.com 今泉まで&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;同日午前9時からバギオ市主催の&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;バギオ市解放記念式典があります。&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;場所：バギオヒーローズパーク&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;今泉光司のスピーチは以下のリンクで読めます。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://drive.google.com/file/d/1p1lLcBMogwWi2GaXFufQ23KubMm04CS9/view?usp=sharing&#34;&gt;記念式典 今泉光司のスピーチ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/6360c9d868aec280df5749f24e786e15_67d07b9cffc37f7cf4e569d3c49c670b.png?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/189f196b9faca16a6472115f88d93a04_931c3f6280e10cd95c4b2c6166ed0363.png?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/eddeb395d4327e4e13221d1671500ee4_ff8af0c416d5873e192cdedb5f1e3ea3.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;2026年2月21日、「メモラーレマニラ1945」&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;1945年2月、大日本帝国の敗残兵は日米両国で無防備都市宣言をしたマニラのイントラムロスに立て籠もり、住民虐殺を繰り返した。レイテ島を解放した米軍は２月３日にマニラに突入し、１か月間激しい空爆を行った。マニラ全土は壊滅し、３月３日に制圧された。日本軍の戦死者は12,000人、米兵の戦死者は約1000人、マニラ市民の犠牲は10万人を上回り、市街地中心は廃墟と化した。毎年２月に犠牲者の遺族が中心になってこの慰霊祭が催されている。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=azCfh9wAfAc&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/azCfh9wAfAc/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;敗戦から80年目の2025年4月19日、20日の2日間に渡ってフィリピンのバギオ市で行われた日比のフィリピン戦従軍兵の遺族会による国際合同慰霊祭のページを作りました。以下のリンクからご覧下さい。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/9605272/page_202602191443&#34;&gt;戦後80年日比合同慰霊祭&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=KfxV7pJj4k0&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/KfxV7pJj4k0/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;2025年12月映画上映会のお知らせ&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h1 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;土の民  地球に生きる映画祭&lt;/h1&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;〜土からうまれる暮らしのもの〜&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;2025年12月6日(土)、7日(日)&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;沖縄県東村高江　やんばる野草の宿 &lt;/h2&gt;&lt;h2&gt; &lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;「地球で生きるために　福岡正信インドへ行く」&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;自然農法の創始者福岡正信さん（2008年他界）は農業が地球を破壊し続けていると主張してきました。そして耕さず、農薬も肥料も水もやらずに作物を作る自然農法を研究実践し、その著書「わら一本の革命」が現在も世界中で読まれています。この映画は1997年に森岡尚子さんと本間裕子さんが福岡さんに同行してインドに自然農法の普及活動に行った際に、今泉が同行して記録したドキュメンタリー作品です。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;「ヒロシマナガサキ」&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;アメリカ在住の日系3世のドキュメンタリー作家、スティーヴン・オカザキ監督が、25年の歳月の末に完成させた原爆投下を巡る真実の姿を明らかにする渾身のドキュメンタリー映画。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;「アボン小さい家」&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;地球と人間の共生、家族の絆といったテーマをドキュメンタリータッチで描いてた劇映画。今泉監督作品。フィリピンにて撮影されました。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;12月6日（土）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;ヒロシマナガサキ　(室内)　16:00〜18:00&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;アメリカ在住の日系3世のドキュメンタリー作家、スティーヴン・オカザキ監督が、25年の歳月の末に完成させた原爆投下を巡る真実の姿を明らかにする渾身のドキュメンタリー映画。&lt;/h3&gt;&lt;h2&gt;地球に生きるために 福岡正信インドへ行く　(野外)　18:30〜19:30&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;トーク(今泉監督＋やんばる野草の宿森岡+スペシャルゲスト？)&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;12月7日（日）&lt;/h2&gt;&lt;h2 class=&#34;&#34;&gt;アボン小さい家&amp;nbsp; &amp;nbsp;(室内)&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp;16:00〜18:00 &lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;上映前後に今泉監督のトークあり　　　　&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;◎上映後は居酒屋営業もやってくれます！&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;今泉 光司（脚本・製作・監督） １９５９年東京出身。 日本大学芸術学部映画学科卒業。 PR広告、映画、ビデオの脚本・演出家を経て映画監督小栗康平の助監督を務める。1992年に初めてフィリピンのバギオを訪れ、それ以来、キドラット・タヒミック等のフィリピンの映画人との交流を続けてきた。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;今泉監督からのメッセージ&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;NPO法人サルボンの設立は、1996年から8年がかりで制作していた自主製作劇映画「アボン小さい家」の準備中に、当時新法人制度として始まった特定非営利活動法人に興味を持ち東京都に申請、立ち上げました。サルボンは事務所、電話、給料なしの日本最小のNPO法人です。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;1997年、「アボン小さい家」を制作中に自然農法家の福岡正信さんに出会い、ドキュメンタリー映画「地球で生きるために」を自主制作しました。哲人福岡との出会いは自分が制作しようとしていた映画に自信をくれました。劇映画「アボン小さい家」は大借金を抱えて完成し、3つ国際映画祭公式コンペに招かれたにもかかわらず売り上げはゼロ。その後の劇場公開も売り上げは劇場と配給会社に持って行かれてサルボンに入金ゼロ。仕方ないので東京を始め、16㎜上映機材を車に積んで全国自主上映をして多くの人々に観てもらいましたが、借金返済には随分長くかかりました。しかし制作から20年たっても上映依頼があり、2025年の今年は福島の映画館フォーラム福島で特別上映されました。長く観てくれている観客は、20年前よりも今の方が観客に理解されやすい、と言います。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;その後はサルボンは、太平洋戦争中にフィリピンで大日本帝国がどのような戦争を行ったのかを調査・記録しながら、アジア太平洋国際平和慰霊祭や平和映画祭を開催してきました。またマニラで大日本帝国軍が行った残虐行為の犠牲者の遺族が行っている慰霊祭、”メモラーレマニラ1945”の記録ビデオを毎年撮影してきました。これらは全てユーチューブでご覧になれます。（ユーチューブネーム：koji de benguet）&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt; 今年2025年は敗戦から80年が経ちました。外地から帰国してきた退役軍人たちがPTSDでアルコール依存症になったり、多くの家庭で家族が暴行を受けていた事実が初めてマスコミに取り上げられました。戦後日本の暗い家庭の中でくすぶっていた戦争が改めて呼び起こされ、今に長い尾を引いていることを考えさせられる事態になっています。大日本帝国戦時中の無責任な体制は戦後改善されているのでしょうか。私たちはそのことを自覚して検証したのでしょうか。そのひずみは今どこに表れているのか。戦後の新憲法の元で私たちがやるべきだった15年戦争の総括を、一人一人が検証して行かなければいけないと思っています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;サルボンでは今後とも映画の上映活動などを通して観客の皆さんと共に考えて行きます。どうぞよろしくお頼みいたします。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;NPO法人サルボン　今泉光司&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;2025年12月&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;2025年9月映画上映会のお知らせ&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/4e4b195c8d2c5292fea95a0c709a6871_369dc864e4e3c1be14183bb604561027.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;「アボン小さい家」福島特別上映会に寄せて&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;この度は映画「アボン小さい家」の戦後80年福島特別上映会にお越しくださりありがとうございます。この映画が公開されてから早20年が経ちますが、今の方が理解しやすいという方がけっこういます。この作品は、先の戦争がどういう場所で行われた戦争だったのかを検分する一人旅で私が見つけたモチーフが集まってオリジナル脚本が出来ました。この映画は観る方によって着目点が違う映画です。皆様が何を発見してくださるのかが楽しみです。超低予算ですが日比両国の多くの協力者の尽力を得て自主制作できた16㎜35㎜フィルム、そしてデジタル化した劇映画です。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;思えば当時まだセカンド助監督だった私が、仕事の合間に東南アジア・フィリピンを旅して、戦争のこと、日系人のこと、山岳民族のこと、この国で世界中の教会が乱立している宗教のこと、子供を置いて出稼ぎに行く母たちのことなど、様々なモチーフを発見して武者震いしてました。1996年に師匠小栗康平監督の演出部を卒業させていただき、北ルソンの山岳地帯に住み込みました。そして取り組んだ日比合作の完全自主制作映画は、道なき道程でした。金は無いけど時間はある。国際交流基金のフェローシップ、映画助成金をいただいたのが初めの原動力でした。それから約8年、思えば様々なことがありました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;まずはシナリオライター探し。日本とは仕事の仕方がまるで違う上に、北ルソンの山岳民族と日系人は一般フィリピン人に人気がない。だから売れっこシナリオライター達は皆気乗りしない。当時日本人といえば悪者。日系人の父役をオーディションしたら人相悪い俳優が100人以上集まって驚きました。仕方なく山岳地帯でシナリオの協力者を探した。宗教や山岳民族の文化に詳しい知識人探し。幸運にも山岳民族出身でありながら大学で宗教と哲学を教える女性教授と出会い、必死に説得して協力してくれることになった。しかも彼女は山岳地帯の女性を支援するNGOの社会活動家でもあった。NGO仲間に頼んで町の中心の事務所の一角を借りて小さな仕事場を確保した。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;下宿先探し。町はずれに小さい家がびっしり密集した小高い山がある。そのど真ん中に飛び込んで下宿を探した。その家のおばさんは偶然にも日系2世でした。私と同年の日系３世の息子は元金鉱山の労働者で当時は無職。生粋の山岳民の息子に付き人になってもらって山岳地帯を何処でも気兼ねせずに歩き回れたのは幸運でした。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;山岳地帯にプロの映画人はいない。そこでインドネシアの映画監督から紹介されたマニラの映画学校の校長を訪ねた。彼も私と同年代で映画の話で意気投合した。しかしその日にゲイであることを告白され仰天したが、私は平静を装いました。その後彼が協力者となってマニラ映画界の俳優やスタッフを紹介してくれました。俳優オーディションや衣装合わせの場としても学校を使わせてもらい、マニラ映画界を知る足場になりました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;シナリオを完成させ、キャスティング、ロケハン、美術打ち合わせ。40人スタッフ中日本人は数人。監督は運転手兼料理人。撮影と主役俳優はマニラ映画界の大御所です。風光明媚なロケ地を選んだので移動が大変。地元のバス会社に交渉して無償で運転手付きバスを借りた。日系人の知人を介してトヨタフィリピンから車4台も借りた。コダックから16㎜ネガフィルムを沢山寄付してもらい、フィリピン航空に手紙を書いて日本4往復チケットをもらった。バギオ日系人会の子供たちが全面協力。ロケ地の村も協力してくれた。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;一つ問題が持ち上がった。山の人は日本人と似てシャイでハグも握手もしない。山岳民族を全く理解していないマニラのスタッフ達は、私がフィリピンを理解していないと私の脚本を否定し、これは日本映画だと賃上げ要求してきた。北ルソンの山岳民族がフィリピン人に全く理解されていないことが分かって私は逆にやる気が沸いて来た。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;1月半、実質33日間の撮影が終わるとお金を全部使い果たしたことがわかった。そこでフィリピン文化庁の映画助成金を申請した。官庁街にある情報省映画局に懇願して現像所と編集・録音スタジオを無償で借りた。しかしフィリピン公務員の働き方は大変ユニークで遅刻欠勤が多く、定時の30分後に始業、30分前に終業。エアコンの具合が悪いとその日の作業中止。でもみんないい人たちで、おかげさまで和気あいあいと1年半かけて映画は完成した。金が無くても時間はあった。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;完成作品を観たら自分にはアラばかりが目に付いて全く自信がなかった。しかしいくつかの国際映画祭が公式コンペで招待してくださり驚きました。そしてそれから映画本来の上映の旅が始まった。映画は観てもらってなんぼなんです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;監督の言い訳代わりに制作の裏話をさせていただきました。少しでも自主制作映画を志す人の参考になったら幸いです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;You can do it too.　 偉そうにすみません。&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;今泉 光司&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;サルボン代表&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;(2025年3月8日)&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;敗戦80年に平和を祈念して、日比合同慰霊祭を企画しました。後日ユーチューブにてその模様を公表します。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;問い合わせは今泉まで&amp;nbsp; imakoji2@gmail.com 。&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;第二次世界大戦終戦80周年平和祈念&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;日比従軍兵遺族会合同慰霊祭&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;2025年4月20日&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;会場：バギオヴェテラン記念公園&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;フィリピン、ベンゲット州バギオ市&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;比島観音奉賛会&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;（フィリピン戦で亡くなった日比米他全ての人を慰霊する観音像を奉賛する遺族の会）&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;会長　亀井亘&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;＆&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;米国在比陸軍北ルソン&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;第66歩兵連隊遺族会&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;会長　テレッサ・ポマール&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;09:30&amp;nbsp; レセプション（日比来賓およびメディア）&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;10:00&amp;nbsp; 合同慰霊祭式典　（だれでも参加自由）&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 日本側遺族代表による招魂式&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 司会：ジミー・フォン（UP BAGUIO教授）&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;11:30&amp;nbsp; 午後の部参加会員はキャンプアレンに移動&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;12:00&amp;nbsp;&#x9;“OWEK”　山岳民の儀式&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 豚の生贄をささげての伝統的なダンス&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 司会：クリスティナ・アバン（イヤマン代表）&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;(2025年2月6日)&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;「フィリピン戦から80年の平和祈念慰霊祭」&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;日比両国の従軍兵遺族会の合同慰霊祭です。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;日時：2025年4月20日（日）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;場所：フィリピン北ルソン、バギオ市（マニラから高速バスで5時間）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;基本は現地集合です。どなたでも参加できます。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;参加費1000ペソ（約2600円、花代、食費、後日記念冊子送付代）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;参加ご希望の方はメイルでお申込みください。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;申込先：NPO法人サルボン　今泉まで。　imakoji2@gmail.com &lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;(2025年1月28日)&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;NPOサルボンの今泉から、日比国際慰霊祭のお知らせです。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;敗戦から80年目の今年4月に日比のフィリピン戦従軍兵の遺族会による国際合同慰霊祭を企画しました。日程が出ましたので、お知らせします。4月19日、20日の2日間、場所はバギオ市とアトック桜公園、ともにフィリピン、ベンゲット州です。日本側の遺族会は蒲郡の三か根山にある比島観音奉賛会で、会長は亀井亘さんです。フィリピン側の遺族会は米比軍ユサッフェ、バギオ支部の方々で、若い方も多くいる団体です。比島観音奉賛会の亀井さんに関しては私のユーチューブ、koji de benguet を参照ください。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;ちなみに4月27日はバギオ市が日本軍から開放された記念日のパレードが行われますが、亀井さん一行は参加しません。慰霊祭はどなたでも参加できます。参加を希望する方はご連絡ください。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;今泉　imakoji2@gmail.com&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/4125728/profile&#34;&gt;活動の概要ページへ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームページへ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sat, 15 Feb 2025 05:38:11 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/8719175/page_202502151438</guid></item><item><title>ビデオの紹介</title><link>https://www.salubong.asia/pages/6929018/page_202304151637</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;第２回日比合同慰霊祭　歌と踊りの祭典&lt;/b&gt;　&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;2026年4月27日　フィリピン、バギオ市キャンプアレン&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;昨年に引き続き、日本のフィリピン戦遺族会、比島観音奉賛会のメンバーがフィリピン北ルソンUSAFIP NL 66歩兵連隊遺族会と合同で戦没者慰霊祭と懇親会を行った。&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=D4fn0l5lO48&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/D4fn0l5lO48/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=0wK3RgccoE0&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/0wK3RgccoE0/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;第1回&amp;nbsp; 日本-フィリピン　戦争遺族の合同慰霊祭&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;2025年4月20日　フィリピンバギオ市&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;日本のフィリピン戦遺族会、比島観音奉賛会のメンバー８人がフィリピン北ルソンUSAFIP NL 66歩兵連隊遺族会約150人と合同で戦没者慰霊祭と懇親会を行った。戦後80年を迎え、公式に合同で慰霊祭を行うのは初めてだ。地元若者ボランティアが制作したルソン戦のドキュメンタリー映画（日本語字幕付）が上映され、両国参加者たちは父たちの戦争の苛烈さを再認識した。実戦を知らずに映画を観た両国の子孫たちが、懇親会でむつみ合い、始めて胸の内を語り合っている。オリジナルのテーマ音楽はフィリピンの人気歌手ジョーイ・アヤラが作詞作曲した。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=KfxV7pJj4k0&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/KfxV7pJj4k0/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=NkhYBmokCtg&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/NkhYBmokCtg/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;メモラーレ・マニラ&lt;/b&gt;&lt;br&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;毎年2月にマニラで開催されます。今年は2026年2月21日に開催されました。&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;1945年2月、大日本帝国の敗残兵は日米両国で無防備都市宣言をしたマニラのイントラムロスに立て籠もり、住民虐殺を繰り返した。レイテ島を解放した米軍は２月３日にマニラに突入し、１か月間激しい空爆を行った。マニラ全土は壊滅し、３月３日に制圧された。日本軍の戦死者は12,000人、米兵の戦死者は約1000人、マニラ市民の犠牲は10万人を上回り、市街地中心は廃墟と化した。毎年２月に犠牲者の遺族が中心になってこの慰霊祭が催されている。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=azCfh9wAfAc&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/azCfh9wAfAc/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=WQ5Ji0gDQkk&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/WQ5Ji0gDQkk/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=KXfjtCSJ-G0&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/KXfjtCSJ-G0/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=EOYxgwocB1o&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/EOYxgwocB1o/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=1HEEk3liPaU&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/1HEEk3liPaU/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=lUW7V2_-LPQ&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/lUW7V2_-LPQ/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=m3wos00BZ_s&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/m3wos00BZ_s/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;比島観音例大祭&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=IBU8UvFHEjQ&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/IBU8UvFHEjQ/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=XI5QRGtfkkw&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/XI5QRGtfkkw/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=mfbSf2bX-ok&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/mfbSf2bX-ok/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=jaitXEKYoQ8&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/jaitXEKYoQ8/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;今泉光司の他のビデオは、以下の YouTube チャンネルで見ることができます。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/@kojidebenguet5636/videos&#34;&gt;今泉光司 ビデオチャンネル&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームへ戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sat, 15 Apr 2023 07:38:28 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/6929018/page_202304151637</guid></item><item><title>ベンゲット州教育支援プロジェクト支援</title><link>https://www.salubong.asia/pages/4735380/page_202103102010</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;フィリピン北ルソン山岳地帯の教育支援のお願い&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;div&gt;&lt;h3&gt;NPO法人サルボン（SALUBONG)の今泉です。コロナ禍で日本中大変な最中にフィリピン国際支援のお話をさせていただくことをお許しいただきたいと思います。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;サルボンは、旧日本軍が米軍と戦争をするために出兵し結果的に多大な被害を与えたフィリピン、北ルソン山岳地帯を中心に、２５年間国際支援、国際交流のボランテイア活動を行っています。この地域は敗戦時におびただしい数の日本兵の死体で覆われ、白骨街道と言われた山岳地帯です。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;この度サルボンと共同で活動してくださった地元の社会活動団体イヤマン（IYAMAN Inc.)から、ロックダウンと学校閉鎖が続くベンゲット州の子供たちにネット環境とリモート学習機材支援の依頼がありました。どうかご理解ご協力を頂けますよう、お頼み申し上げます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;サルボンは皆様からの寄付全額を現地に送金し、後日希望される方にイヤマンからの報告書を翻訳しお送りします。支援の詳細は以下の通りです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;イヤマンの代表クリスティーナ S. アバンさんは山岳地帯へき地、ベンゲット州, バクン,シナクバットの出身です。すべての学校を特待生として卒業し、同時にキリスト教系社会活動団体に所属し、大学で神学哲学の教授として教鞭をとった後、現在は自身が主催するNGOで山岳地帯の村々の医療や教育を支援する社会活動に専念されています。昨今ドイツの篤志家から基金を託され4階建てのビルを建設しましたが、新型コロナのパンデミックに見舞われてしまいました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;この山岳地帯には多くの少数民族が住み、イヤマンのあるラトリニダッドには山から出てきた多くの貧しい山岳民が住んでいます。このイゴロットと言われる山岳民は、キリスト教化が遅れた未開人と下げすまされ差別されました。終戦時に日本兵の白骨街道だったこともあり、山岳地帯は今だに開発の遅れた地域です。隣のバギオ市は富裕リゾート地として栄えていますが、そこから山岳地帯に入ると鉱山労働者と小作農中心の貧しい地域が続きます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;フィリピンでは昨年の３月からパンデミックが続き、山奥の村でも医療設備がないという理由で外出禁止です。買い物も村ごとに週一日のみという厳しい規制が続いています。学校教育はリモート授業を推奨していますが山岳地帯では機材もなくできません。フィリピンの低地の学校ではPCを使い、町にはネット環境もありますが、山岳地帯にはありません。したがって現在学校教育が全く中断してしまったわけです。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;そこでイヤマンではまずイヤマン事務所の広いフロアをリモート授業の拠点にすべく教員用の大型PCと生徒用の廉価なPCセットをそろえてリモート授業の体制を整えていこうとしています。そして徐々に離れた村々へも敷設していこう、という考えです。どうか皆さんのご理解ご協力をいただきたく、お頼み致します。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;NPO法人サルボンは無給スタッフによる最小経費での特定非営利活動法人です。皆様のご理解ご協力をお頼み申し上げます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;/div&gt;&lt;h3&gt;NPO法人サルボン代表　今泉光司&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;〒111-0041東京都台東区元浅草4‐8‐5&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;電話03‐3843‐0876、lubongbaguio@yahoo.co.jp&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/27edd8bbce42b1a22b824d9825463aeb_a15c10f5dd57a83044fe0b5d1777bbe7.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/886978980ee64cbcb784c90ba7996577_4c9dd6aa8698fc86d5c88dede00d0be5.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/63f0d2a0a09f665c5ad8c634af5cc20c_a96757d3e678c5aeaa41938c46b5ec5e.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/2135e707cec5d40c311bdbd0d7c1d4e4_a2f7badd1551fb517625b3affcd4a17e.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームに戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;&lt;b&gt;イヤマンの寮にお住いだったある邦人支持者の現地報告&lt;/b&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;（2020年11月に帰国）&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;観光業が蒸発してしまい、長距離バスが全部ストップしています。ホテルやお土産物店は全部シャッターを閉め、従業員は解雇されています。先月からバギオなどはまた厳しいロックダウンを始めました。隣町に行くのに役場に行って理由等を聞かれ、許可証をもらわなければならなくなりました。学校は小学校から大学まですべて閉鎖されています。ネットを使った授業をしているのですが、ネットを持っていない人も多く、そもそもネット回線がないところが多いです。農業はコメの流通だけは何とかしているのですが、野菜などは、輸送業者に感染者が出ると輸送業を止めてしまうので、トリニダッド（野菜市場のある町）に来た野菜が売れず、ただで配っています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;来年税収がなくなったら政府はどうするのでしょうか。来年の台風や災害で出す予算は全くなくなるのではないかと心配です。密になる事を防ぐために、バランガイ（村）ごとに市場に行く曜日が決まっており、私のところは火曜日だけ買い物に行けます。他の曜日に行ったら警察官に追い返されます。住民はマスクとフェイスガードが義務づけられています。学校の様子ですが、全部しまっており、民間の学校は部屋を貸し出し始めました。学生はオンラインで授業ですが、ネットカフェに行ける子はいいですが、金がないと何もできません。山奥の町も厳しいロックダウンをしています。理由を聞いたら、病院がないので、感染者が出るとどうにもならないからだと言われました。酒の売り買いは3月から禁止されており、飲み屋は全部しまっています。カラオケや夜の店も3月から全部しまっています。来年はいったいどうなるのでしょうか。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;NGOイヤマンの北ルソン学校支援金をお送りくださった皆様へ&lt;/h3&gt;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;お礼と報告書&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;div&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;/div&gt;&lt;h3&gt;NPOサルボンは「地球で生きるために」をグランドテーマとして活動しています。1996年から、主に旧日本軍（大日本帝国軍）が多大な迷惑をかけ、終戦時にはおびただしい数の日本兵の白骨が置き去りにされていたと言われる北ルソンの山岳地帯を中心に、様々な国際理解、国際協力のボランティア活動をしております。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;この度はフィリピン、ベンゲット州山岳地帯の学校教育や村の医療をサポートしている現地NGO のlYAMAN（イヤマン）からの支援依頓に応えて、皆様からご寄付（合計30万4千500円）をお寄せいただきましてありがとうございました。現地イヤマンの代表クリスティナ S. アバンさんから報告書とお礼状が届きましたので報告させていただきます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;寄付金第一回目は2021年3月9日に送料込みで25万3千円、第二回目は2021年6月9日に5万1千500円を送金しました。皆様の温かいご支援をありがとうございました。今後とも引き続き様々な活動を続けてまいりますので、どうかよろしくお頼みいたします。&lt;/h3&gt;&lt;div&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;/div&gt;&lt;h3&gt;NPO法人サルボン代表　今泉光司&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;〒111-0041東京都台東区元浅草4‐8‐5&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;電話03‐3843‐0876、lubongbaguio@yahoo.co.jp&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/5270f11436cd4d1395a1812179837ca6_5cb1d03342f2944e34e93d4642682649.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/a4ef551768e27c75df922be75a2b7b46_b60311918a120cf17278f806627e8181.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/653ca162e9f71f83bd4c5cdefffc683f_cad05e4465d46f12d7f9bed2df888c9a.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/4904e1163eabaecedba82f2b9c3cefa6_049685898d934b6a17ba67b9aef57ea0.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;以下は報告書の試訳です。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;①  2020 年 11 月 21 日から現在まで、イヤマンのボランティアとバギオ シティ国立高校の教師は、ラ トリニダードの 36 人の生徒が学校の授業を達成するのを継続的に支援してきました。 彼らの両親は、毎日の仕事をしなければならないため、子供たちを教えたり助けたりすることができません。また、知識や訓練が不足している親もいます。 遠すぎたりCOVID-19の移動規制のために、イヤマンのオフィスに来ることができない小学生や高校生は、チャットまたはメッセンジャーで支援されています.&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;② イヤマンのスタッフは、さまざまな学校に行って授業内容のレポート(1科目6－10ページのプリント) を遠くのバランガイ（集落）の生徒に送ります。 私たちは授業内容を遠隔の村に届けるために、公共交通機関や車両を手配します。イヤマンではそれらの学習用プリントや独自に調査解説した学習資料などのコピー印刷を頻繁に行い、村々の小学生や高校生に届けます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;③ イヤマンのスタッフは、カパンガン村ボクラワンの子供たちと携帯電話(スマホ)を使って対面授業を行い、スマホで調べものをする方法やオンラインで教師や指導カウンセラーに助けを求める方法についてチュートリアルを実施しました。イヤマンは、その際にオンラインでカウンセリングや医療相談ができる、認可されたカウンセラーと医師の携帯電話番号も提供しました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;④ パンデミックが人々を怖がらせ続ける中、ルベータさんはオフィスに助けを求めに来ました。 イヤマン のスタッフが彼女をバギオ総合病院に連れて行きました。 ここはベンゲット州でCovid-19ウイルスに感染しているかどうかを検査している唯一の病院です。 彼女が Covid-19 に感染していない場合は、医師の診察を受けることができます。 彼女は薬を処方され、現在に至るまで薬を飲んでいます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑤ イヤマンのソーシャルワーカーは山岳民の自動車事故などの犠牲者も援助しています。 イヤマンは社会福祉開発省 (DSWD) が被害者に経済的支援を提供できるように書類を作成することで被害者を支援します。 この被害者は片足と手を骨折していて、 今日までにすでに彼の足と手にギブスがまかれています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑥ イヤマンはBarangay Baliliとの覚書を更新しました。イヤマンはこれからも子どもたちのモジュール　(リモート授業用教材)作りをお手伝いしていきます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑦ イヤマンのオフィスでは、ボランティアのガイダンスカウンセラーとイヤマンスタッフによる心理療法も行われました。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑧ イヤマンは最近、オフィスでの使用のために以下の材料/機器を取得しました。 新しいデスクトップとラップトップ (各 1 つずつ) は、オフィスでの作業に大いに役立ちます。 特にこのパンデミックの間、リモート会議が強く推奨されます。 ファイル/書類の送受信はオンラインで行う必要があります。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑨ デスクトップは 10 年生の生徒によって組み立てられました。その生徒は仕事をすることを申し出たので、彼は自分の労働力で学費を支払うことができます。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑩ これらのコンピューターは、ボランティアの教師や生徒が教材 (モジュール)作成や学習 で使用するだけでなく、リモート授業を通じて村の生徒を支援するガイダンス カウンセラーにも使用されています。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;⑪ さらに、イヤマンは2 つの中古のキャビネットも取得しました。ひとつはシード バンク プロジェクトに使用し、 もう 1 つは学生の資料のファイリングに使用しています。 シードバンクは、山岳地帯の村の家族が消費する野菜の種を保管するために非常に重要です。&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームに戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 10 Mar 2021 11:11:00 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/4735380/page_202103102010</guid></item><item><title>第6回アジア太平洋国際平和慰霊祭</title><link>https://www.salubong.asia/pages/4735370/page_202103102007</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;第６回アジア太平洋国際平和慰霊祭・フォーラム&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h3&gt;2015年12月6日に平和映画祭及び第6回アジア太平洋国際平和慰霊祭を行いました。2015年は終戦/敗戦70周年の年にあたり、1996年から今泉が赴任しておりますフィリピン北ルソン山岳地帯の首都バギオ市のラジオ局を通しまして、4時間半の歴史と音楽の特別番組を放送いたしました。日本から音楽家のおおたか静流さん、ASUさん、NPO広島アントの渡部朋子さんがボランテイアで参加してくださいました。以下はそのラジオ番組の内容を日本語に訳した報告書からの抜粋です。&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;フィリピン戦の実態を未だに知らされていない年配の方々に、これからアジアの人々と共に平和なアジアを築いてゆく若い人々に、また、ひとりでも多くの日本人に読んでいただけますよう、皆様のご協力をお頼みしたいと思います。どうぞよろしくお頼みいたします。&lt;/h3&gt;&lt;div&gt;&lt;h3&gt;今泉光司  &lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h3&gt;報告書全文は以下のリンクから見ることができます。&lt;/h3&gt;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://drive.google.com/file/d/1zBslTZoL2bYw-PeYP07yR1K9nyR6j7mE/view?usp=sharing&#34;&gt;第６回アジア太平洋国際平和慰霊祭 報告書&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=dsuhm-Mxt60&#34;&gt;テーマソング : OPEN HANDS&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;報告書抜粋&lt;br&gt;&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;この文章は2015年12月6日にフィリピン・ベンゲット州バギオ市にあるラジオ局DZWT540で生放送された戦後70周年特別番組「第6回アジア太平洋国際平和慰霊祭とフォーラム」（“６Asia Pacific International Peace Memorial &amp;amp; Forum”）の収録台本を一部割愛して日本語に翻訳したものです。番組の内容は大東亜戦争/太平洋戦争中にフィリピンを舞台に行われた大日本帝国軍の攻略と占領統治、その間に人々に起きた出来事です。フィリピン大学歴史学博士のリカルド・ホセ教授に解説していただいたインタビューをベースに、13人の戦争体験者、犠牲者の遺族や研究者の話や、身内や人々から伝え聞いた話を、時には個人の意見も交えてお話しいただいたビデオインタビューを素材として構成したものです。ホセ教授も指摘しているように、残念ながら戦争中の多くの出来事は記録がされていません。今回話していただいたお話も70年以上経過した出来事で、話の真偽を客観的に検証することは不可能でした。この文章は、そう言う話を語ってくれた人がいたと言う記録です。そして歴史を通して平和な世界を築きたいと考えている前向きな人々の記録です。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/643caf5bf82f3bff6c867d8b06bab746_58d35442700804a23fe7382a4c76a02e.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;第6回アジア太平洋国際平和慰霊祭&lt;/p&gt;&lt;p&gt;及び平和フォーラム&lt;/p&gt;&lt;p&gt;2015年12月6日（日）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;午前10時－午後２時30分&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン・ベンゲット州バギオ市&lt;/p&gt;&lt;p&gt;DZWT・amラジオ生放送特別番組&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アンカー：ALJUN, アシスタント：Cristy Aban&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ゲスト：Jimmy Fong, 今泉光司、渡部朋子、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;おおたか静流、ASU, Brian Alipin&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アジア太平洋国際平和慰霊祭及び平和フォーラムは、戦争を記録し学ぶために、2000年に日比両国のボランテイア活動家によって、元米軍基地キャンプ・ジョンヘイで始められました。キャンプ・ジョンヘイは、1941年12月８日（米国時間は12月7日）に、ハワイ真珠湾攻撃の数時間後に大日本帝国軍によって奇襲空爆された所です。この空爆からｄ大日本帝国対アメリカ、イギリスを中心とする連合軍との戦争が始まりました。そして1945年９月3日に大日本帝国軍の総司令官山下奉文（ともゆき）大将が同じキャンプ・ジョンヘイで降伏の調印をしてフィリピン諸島での太平洋戦争/大東亜戦争が終わりました。　　　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;戦後70周年の2015年第６回のアジア太平洋国際平和慰霊祭は４時間半のラジオ特別番組を通して北ルソン一円に生放送しました。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;皆さん、おはようございます。今日は番組で特別の式典を生中継します。2015年12月6日の大切な日曜日の朝、私たちは第6回アジア太平洋国際平和慰霊祭を行いたいと思います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;リスナーの皆様、私たちは今日アジア太平洋戦争終戦70周年を記念して放送しています。かの太平洋戦争は大日本帝国軍が1941年12月8日にバギオ市の米軍基地キャンプ・ジョンヘイを空爆したことから始まりました。まず国家を歌いましょう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン国歌&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「最愛の地」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;愛しき地、東洋の真珠。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その胸に抱かれ、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;我等の情熱がある。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;選ばれし地、勇気の揺り篭。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その地は決して、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;侵略者に屈する事はない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;海に、山に、大気に、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そしてその青き空に、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;美しき詩があり、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;自由を愛する歌がある。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;きらめきに彩られたその旗は、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;勝利で輝く。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その太陽と星々は、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;永遠に輝きを失うことはない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;太陽と栄光と愛ある地。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その地に抱かれし、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;我等の至上の人生。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;この地に圧制者が現われし時には、&lt;/p&gt;&lt;p&gt;死を持って抗う。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;それが我等の喜びである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ありがとうございました。北ルソンの皆さんと海外でオンラインストリームを聞いてくださっている皆さん、おはようございます。2015年12月6日、日曜日の朝フィリピンはちょうど10時10分です。さあ今回は皆で過去のストーリーを語り合う慰霊祭です。私たちの愛する郷土の歴史、フィリピンの特にここ北ルソンについてです。番組の中ではアジア太平洋戦争、終戦70周年記念に関しても話し合います。きっと私たちの大先輩である退役軍人の方々は、戦時体験の多くのトラウマをお持ちだと思います。リスナーの皆さん、あなたは第3次世界大戦が起きて欲しいですか？絶対に嫌ですよね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　今日はここに戦争の話を共有してくださるゲストをお招きしています。私たち、当時はまだ生まれていなかったですが、今日はお話を聞いて戦争が私たちの社会に与えた影響について考えます。さあ、戦争について皆で学んで、２度と繰り返さないようにしましょう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　この瞬間に沢山のお客様がスタジオに詰めていただいていて圧倒されそうです。わたし、オンエアーの番組中に汗かいてるの初めてです。アハハ。だって沢山の関係者がいるんです。日本とコルデイリエラからボランテイア・アーテイストとスタッフが大勢来ていて、一緒にお話ししてくれます。うれしいですね。おはようございます、クリステイーさん。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　おはようございます、アルジュンさん。そして北ルソンと海外のリスナーの皆さん。今日は午後２時まで特別番組をお送りします。どうか最後までお付き合いいただきたいと思います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　このアジア太平洋国際平和慰霊祭、通称アピプンは今泉光司さんによって始められました。ボランテイア社会活動家としてコルデイリエラ山岳地帯中心に20年以上活動されています。彼を助ける仲間たちがいます。例えばジミー・フォンさん。こんにちは、ジミーさん。そして私たちと一緒に活動している仲間たちがSDSコンピューター＆ビデオ、リサーチメイト、イヤマン、他のボランテイア・ヘルパーさんたちが私たちと2010年から共同主催しています。今年は2015年で６回目の慰霊祭になります。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　はいシスター、2015年まで6回もやって来たんですか。どうもジミーさん。フィリピン大学バギオ校教授ジミーさんがいらしてます。お早うございます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　おはようございます、アルジュンさん、クリスティーさん、そして日本とコルデイリエラからいらしたゲストの皆さん。この第6回アジア太平洋国際平和慰霊祭は日本の非政府組織、特定非営利活動法人サルボンと、二度と戦争を起こさないために「心に平和の防壁を築こう」がスローガンの特定非営利活動法人”音楽は平和を運ぶ“の助成でお送りしています。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピン大バギオ校のマスコミ学科教員として、ここに参加出来て光栄です。前回まではベンゲット州庁舎や元米軍キャンプ・ジョンヘイを会場として開催して来ましたが、今回はラジオ番組を通してお送りすることになりました。ありがとうございます。今回第６回目になる、第二次世界大戦を回顧し記念する平和慰霊祭です。昨日平和映画祭を皮切りに始まりました。フィリピン大で戦争に関するドキュメンタリー映画を上映しました。一緒に参加してくださったのが日本とコルディリェラから参加したボランティアの皆さんです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　2本の映画は日本のNPOにより制作されました。最初が「ブリッジ・フォー・ピース」。それは太平洋戦争のフィリピン人犠牲者や遺族のインタビューと、フィリピンに従軍した元日本兵のインタビューを編集したものでした。このインタビューは我々フィリピン人の祖先が被った激しい苦痛を記録していて感情を揺さぶられます。2本目の「ヒロシマ・ナガサキ」は日本の広島と長崎に落とされた原子爆弾に関するドキュメンタリー映画です。光栄なことに日本側のプロデューサー渡部朋子さんが今ここにいらしています。おはようございます朋子さん。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;渡部朋子さん&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　おはようございます、ジミーさん。参加出来て本当にうれしいです。お招きくださりありがとうございます。私は昨日映画を見てとっても感動しました。それは２つの国の人々がそれぞれの国の話を分かち合うことが出来たからです。私はこのイベントに参加出来て大変光栄に思います。ありがとうございます。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/4a8a095c42e49e6e89dc515cda563961_9ffdf8e3e55558fcb91da2e243e42d70.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう皆さん、朋子さんは映画「ヒロシマ・ナガサキ」を共同制作されました。昨夜彼女がどのようにあの映画を制作されたのか話してくださいました。映画が全部出来上がるまでに長い時間がかかったそうで、すべてボランテイア活動として行ったそうです。今回のフィリピン訪問もボランテイアだそうです。そしてスタジオにはもう2人のお仲間が居ます。おおたか静流さんとASUさんです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;おおたか静流さん&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　こんにちは、静流です。お会い出来てうれしい、参加出来て光栄です。私は音楽は平和の架け橋だと思っています。今回は作曲家やシンガーとして活躍中のAsuがキーボードを弾いて一緒に唄います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　こんにちは皆さん。ASUと申します。日本で歌手と作詞作曲をしています。お招きくださりありがとう。素晴らしい機会をいただきとてもうれしい。この式典に参加出来て本当に光栄です。ありがとうございます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　はい、ASUさん。これまでフィリピンに来たことありますか？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　いいえ、これが初めてです。つい2日前に着いたばかりなんですが、何となく初めてじゃないみたいな気がしてます。子供の頃、僕の学校に沢山のフィリピン人の先生が居たので、まるで昔の町に戻って思い出しているような気分です。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　で、その思い出はもちろん素晴らしいものだった？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　はい。最高に。素晴らしいです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そしてバギオ訪問も初めてですね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　はい。おいしい食事にいい人たちばかりで、楽しんでます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　オーケー。皆さんようこそいらっしゃいました。私たちはいつでも皆さんを歓迎します。皆さんが来てくださることはとてもうれしいことです。このアピプン（慰霊祭）だけではなくて、これが私たちの友情の始まりになりますように願っています。それでは皆さんで太平洋戦争で亡くなった方々のために祈りましょう。アジア太平洋戦争ではアジア23カ国で2000万人以上の人々が亡くなったと言われています。たぶん大東亜共栄圏と言われていた範囲でだと思います。フィリピンでは110万人が犠牲になりました。さあ皆さんで追悼の祈りを捧げたいと思います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和の祈り&lt;/p&gt;&lt;p&gt;神様、どうぞあなたの優しさで戦争犠牲者たちを見守りください。私たちは世界が貧困と苦痛から解放されることを夢見ています。世界から復讐と暴力が無くなることを切望し、世界平和をお祈りいたします。戦争被害者たちの苦しみが私たちの心をさいなむ時、どうか彼らに救いの手を差しのべられますように。そして私たちに暴力によって壊されてしまった精神と心と体を癒し慰める能力と信義をお与えください。主よ、あなたが私たちの呼びかけに平和創造者として答える時、どうか私たちと共にお歩みください。あわれみと寛容ともてなしを私たちの子供の平和のためにお恵みください。勇気と忍耐と平静を与えてください。そして私たちの世界の過ちと悲しみにを埋める精神の穏やかさをお与えください。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　アピプンにはオリジナル・テーマソングがあります。フィリピンのミュージシャン、ジョーイ・アヤラが作詞作曲してくれました。「オープンハンズ」というタイトルのこの歌を唄うときは、皆に両手を開いてもらいます。何も武器を持っていないという意味です。さあ一緒に唄いましょう。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/71eba1a500a1ff264880724d1dccda1e_d7db62ba074aa84374cb317285e598e7.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;オリジナルテーマソング&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「オープンハンズ」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;作詞作曲：ジョーイ・アヤラ&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歌：おおたか静流＆ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Here we are my sister and my brother　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ここで　私たち世界の兄弟姉妹たちが&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Now is now the only time we have　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今、今日、この同じ時を生きている&lt;/p&gt;&lt;p&gt;We are in a garden made of open hands　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私たちは　両手を開いてひとつの花園にいる&lt;/p&gt;&lt;p&gt; &#x9;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Peace is all we gather for like flowers　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和、それは私たちが集めた花束&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Peace is all the earth we need to stand　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和、そこは私たちが守っていく地球&lt;/p&gt;&lt;p&gt;We are like a garden made of open hands　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私たちは両手を開いて集う世界のもろびと達&lt;/p&gt;&lt;p&gt; &lt;/p&gt;&lt;p&gt;＊＊　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Peace is here 　and Peace we know　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和がここに　私たちが知っているその平和とは&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Is like a garden　　 That we sow　　　　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;まるで花庭　様々な花が咲いている&lt;/p&gt;&lt;p&gt;With open hands　 And open hearts&#x9;　　　 　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;両手を開いて　気持ち通い合わせ&lt;/p&gt;&lt;p&gt;And open minds　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;心を開こう&lt;/p&gt;&lt;p&gt; &lt;/p&gt;&lt;p&gt;We grow strong by sharing dreams and visions　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私たちは強く成長する　夢と理想を語り&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Richer as we share the things we know　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;豊かになり　共有し受け入れる&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Treasuring the things we make with open hands　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;守るべき宝は　両手を開いて得たもの&lt;/p&gt;&lt;p&gt; Peace is how we love despite the suff&#39;ring　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和、それは苦しみを越えて愛すること&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Peace is why we harvest what we sow　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和、それは私たちが歴史から得られたもの&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Peace is when we live a life of open hands　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;平和、それは手を開いて共に生きるこの時&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＊＊　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　はい。「オープンハンズ」をお送りしました。アルジュン、顔がくしゃくしゃでべそかいてるみたい。私が初めてこの歌を聴いたのは、キャンプジョンヘイ（バギオにある元米軍基地）の花園、ベル円形劇場でした。私はもう泣きそうでした。アルジュンさんはどうでした？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　…はっは。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　本当です。過去の平和慰霊祭で私たちはいつもロウソクをともし、手を開いてこの「オープンハンズ」を唄いました。ジョーイ・アヤラさん、美しい曲をありがとう。さて明日の月曜日に平和映画祭はベンゲット州マンカヤンのセント・ジョセフ・パリッシュ教会に行きます。午後4時から始まります。日本のゲスト・アーテイスト、おおたか静流さん、ASUさん、渡部朋子さんも行きますよ。そして火曜日。12月8日（火）の休日は同じプログラムの平和映画祭がベンゲット州アバタンのアワ・レデイー・オブ・パーペチュアル・パリッシュ教会に行きます。朝9時30分からです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ノーです。絶対に戦争はしない。ラジオをお聞きのご家族やお友達の皆さん、これから平和フォーラムを始めます。番組は少し前に始まりましたがこれからが本編の始まりです。初めに今泉光司さんの話を聞きましょう。このアピプンの発起人です。彼があちこちにインタビューに出かけて行きました。純粋にボランテイア活動家です。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今泉光司&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　私たちの放送を聞いてくださり、ありがとうございます。そしてはるばる日本からアピプンに参加するために来てくださったゲストの皆さん、ありがとうございます。渡部朋子さん、おおたか静流さん、ASUさん。そしてマニラのNGO所属のマーサさん、地元歌手のブライアン・アリピンさん。それから沢山のボランテイア・スタッフが助けてくださっています。ありがとうございます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　今年は戦後70周年記念の年です。戦争中は、たぶんこのスタジオに居る全員がまだ生まれていなかったと思います。だから私は大日本帝国が引き起こしたあの戦争について学ぶためにフィリピンに来ました。当時私はフィリピンであの戦争中に何が起きたのかについて、ほとんど何も知りませんでした。特にフィリピンに来た1996年から1997年頃は知らなかった戦争の話を聞いて驚かされました。私が戦争のことを知るにつれて、いったい日本人はどうやって謝罪が出来るのか、どうしたらあんな残虐行為を許してもらえるのか分かりませんでした。何で日本軍はあんな残虐行為をやってしまったのか、私は理解に苦しみました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そして私はつくづく戦後に生まれて幸運だったと思いました。もし戦中に生まれていたら、大日本帝国軍兵士にならなければならない。そしてフィリピンに行かされて残酷なことをさせられたかもしれない。私はそんなことしたくないし、誰も殺したくないです。しかし大日本帝国軍人は命令に対して「ノー」とは言えない。兵士はたとえやりたくない事でもやらなければならない。軍人は命令に従わなければならない。だから私は戦争に関してインタビューをして学んでいる時に、自分はつくづく当時生まれていなくて良かったなあと思いました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　日本の戦後世代の一員として戦没者の方々に心より謝罪とお悔やみを申し上げます。私たちはアジアの人々と平和的な関係を作って行きたいと思います。今回リカルド・ホセ教授が1941年から1945年までの太平洋戦争全体について、何処で何が起きたのかとても分かり易い説明をくださいました。私たちはその説明に沿いながら、途中に様々なインタビューを入れて進めて行きたいと思います。皆さんインタビューに自由なコメントをお願いします。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　オーケー、それではジミー教授とクリスティー、そしてリスナーの皆さんと番組を進めて行きたいと思います。みなさんは過去の戦争で、どうしてそんなに沢山の日本人が関わっていたのかと不思議に思っているかもしれません。「山下」という名前は今でもフィリピンでは有名です。しかし日本人は今、精力的に平和を提唱しています。クリスティーさん、そうですよね？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう、日本人とフィリピン人、そして世界の国々が助け合うのはとてもいいことです。誰かが戦争を始めても誰も文句を言わないのは良くない。私たちが共にやるのは、２度と戦争を繰り返さないために、戦争を皆で記憶することです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう、クリスティーさん、ジミー教授、コウジさんの当時の話は明確でしたね。旧日本軍のやり方は、もし男に生まれたら、あなたは必ず軍隊に入らなければならない。そして軍隊では、自分で考えること、を許されていない。大日本帝国軍の一員として、あなたの使命は命令に従うことだけです。戦争が宣言されてから、もしフィリピンに派遣されて、命令に従わなかったら、あなたは大日本帝国軍によって処罰されていただろう。コウジさん、なるほど分かりました。もしも軍に従わなかったらね。戦争当時、平和を主張し、戦争に行かないという日本兵には大変厳しい処罰があった。当時全ての日本人にとって唯一の選択肢は、上官からの命令に従うことだけだったんですね。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/492029b096dafa73cb1f2ca407b42350_185fb6104c33c85a7b31ec65598cfc76.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　オーケー、それでは戦争の話に行く前に日本から来たボランテイアの皆さん、おおたか静流さんとASUさんに歌を歌っていただきましょう。大きな拍手でお迎えください。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ありがとうございます。この歌は多分多くの国でみんなに愛されている数少ない曲のひとつです。そのタイトルは「アメイジング・グレイス」です。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;スタジオライブショー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アメイジング・グレイス&lt;/p&gt;&lt;p&gt;おおたか静流＆ASU&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Amazing grace,&lt;/p&gt;&lt;p&gt;how sweet the sound&lt;/p&gt;&lt;p&gt;that saved a wretch like me.&lt;/p&gt;&lt;p&gt;I once was lost, but now I&#39;m found,&lt;/p&gt;&lt;p&gt;was blind, but now I see.&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は　迷い子&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ただ　長い道を&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歩き続け　求め続け&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ここまで来た&lt;/p&gt;&lt;p&gt;まばゆい　光の中&lt;/p&gt;&lt;p&gt;あなたを見た&lt;/p&gt;&lt;p&gt;それは希望　それは夢&lt;/p&gt;&lt;p&gt;永遠の誠&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　さあアジア太平洋戦争の番組を続けましょう。フィリピン人にとって、第二次世界大戦というのもよく知られた言い方で、フィリピンだけではなくもっと広い範囲の戦争でしたが、アジア太平洋戦争という言い方も出来るんです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピン大学デリマン校にアジア太平洋戦争について研究された著名な学者がいます。リカルド・ホセ教授です。教授は日本に行って勉強し、バギオを含む多くの場所を訪ねて1941年から1945年まで間に何処で何が起きたのかを調査研究しました。ホセ教授の最初のインタビューは戦争が起きる前のフィリピンから始まります。そう1941年以前のフィリピンはアメリカの植民地でした。そして大日本帝国が後からやって来たのです。&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームに戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/7a0f0fa56cd36a5a917482955bcefe7c_5b56894e36e0c0ca2d17d07744119ace.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;それでは教授の話を聞いてみましょう。何故太平洋戦争が始まったのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビューを聞きますが、これは今泉さんによって英語で行われました。英語のインタビューを聞いていただいた後に私たちがイロカノ語で説明しますから、聞いていてください。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;リカルド・ホセ &lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史学博士&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン大学デリマン校教授&lt;/p&gt;&lt;p&gt; Part1&lt;/p&gt;&lt;p&gt;（なぜフィリピンが戦争に巻き込まれたのか）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピンは当時アメリカから与えられたコモンウェルス（米国の連邦内の自治領）政府でした。すでに独立を準備してましたが,まだ完全な独立国ではなかった。まだアメリカの植民地でした。1935年から始まりました。コモンウェルス政府の根本的なテーマは国防です。当時周辺に敵はいませんでしたが、いかなる侵略者が現れても守ると言う自衛システム確立がテーマでした。1935年から1941年までは防衛力の向上であり、フィリピン人がフィリピンを防衛すると言う事がテーマでした。　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　何故戦争が起きたのかにはいくつかの理由がある。もちろん基本的には日米間の外交関係が行き詰まり、日本はアメリカの要求を受け入れなかった。米国は日本に当時フランス領だった南インドシナ（ベトナム）からの撤退を要求した。しかし日本は中国の権益をも狙っていたのです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　広域的には、日本は中国との紛争と東南アジア全域との２つの地域に進出していたが、この時日本は欧米諸国が植民地支配していた東南アジアへ侵攻しました。大日本帝国政府はベトナムや中国からの撤退（ハルノート）を拒否し、米国は東南アジアの石油と鉱物資源の輸出を禁止した。そして大日本帝国は米国との戦争を決断した。東南アジアは鉱物資源が豊富でした。オランダ領東インド（インドネシア）には大日本帝国が必要としていた石油がある。マレー半島にはゴムが豊富だ。これも帝国が戦争遂行に必要としていた。　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピンにも鉱物資源スズなどがあった。またフィリピンは東南アジアの中心で戦略上重要な位置にある。日本がマラヤやシンガポール、インドネシアを侵略する時にフィリピン海域を必ず通らなければならない。フィリピンは米国の植民地で当時米軍基地もあった。そうした経緯からも、日米間の国交が決裂した1941年に日本は開戦を決断し、真珠湾や東南アジア各地に同時奇襲攻撃作戦を展開した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピンから見ると、何故フィリピンがこの戦争に巻き込まれたかの理由はいくつかある。第一に米国領だったので米軍基地があった。その米軍基地を日本軍は無力化する必要があった。インドネシアに石油を取りに行かなければならないから、シンガポールやマレーにいた英軍やオランダ軍を叩いたように、フィリピンの米軍も先に叩く必要があった。第２の理由は、フィリピンが米領であるなしに関わらず、戦略上の重要拠点だったからだ。米軍がいなくても帝国軍はフィリピンを押さえる必要があった。タイと同じように帝国軍が駐留しに来ただろう。タイは何処からも侵略されてはいなかったが、大日本帝国軍がマレー半島に行く時の足がかりに駐留する事を許した。もしフィリピンが独立していたら、やはり同じように帝国軍はフィリピン国土を使わせるように交渉して来ただろう。第3の理由はフィリピンには大日本帝国が必要としていた資源があった。銅やスズ、マンガン、木材、マニラ麻は日本の戦争経済に重要な資源だった。この3つが大日本帝国がフィリピンを重要だと考えた理由だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ジミーさん、自分が自国の歴史についてそんなに良く知らなかったことに気付かされました。私は何故日本軍がフィリピンにやって来たのか、3つの理由がどういうものなのか、今わかりました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ジミー教授、クリステイーさん、私たちは今やっと分かったって感じですね。当時日本やアメリカやその他フィリピンに興味を持っている国々がフィリピンをどんな目で見ていたのか。フィリピンは大変豊かで祝福されてた国なんですね。しかしアメリカも日本も、もしフィリピンが他の所にあったら来てなかったかもしれない。私たちの場所って重要拠点なんですね。戦略上重要なバギオ市と比較してみましょうか。バギオは山岳地帯の入口、商業の中心地で他の地域に行く幹線道路と繋がっている。だからここバギオは戦略上重要なんです。バギオを通らずに他の地方には行けません。フィリピンもそんな風に重要なんですね。私たちはとても豊かなんです。だから他国は私たちの木材などの資源を狙っていたんです。何故フィリピンが戦略上重要なのか、沢山の理由がありました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリステイ−&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そして1941年12月8日を迎え、真珠湾奇襲攻撃がありました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　はい。アメリカでは12月7日と言われていますが、日付変更線のせいでフィリピンはハワイよりも1日早い。日本の戦闘機隊はバギオやフィリピンの他の地域にもほとんど同時に来ました。1941年12月8日の早朝で、学校では朝礼をやっていました。この話は当時生きていた年配者に聞きました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そうか。朝礼中に来たのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう。バギオの米軍基地キャンプ・ジョンヘイに来て、次にクラーク空軍基地、そしてミンダナオに来たそうです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう。それがアジア太平洋戦争の始まりだったんですね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　教授、キャンプジョンヘイと真珠湾って同時に奇襲攻撃されたの？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　真珠湾奇襲攻撃のほんの数時間後に別の部隊がバギオのキャンプ・ジョンヘイに来たようです。　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　さあホセ教授の説明を続けましょう。日本軍がどんな風に東南アジアに侵攻して来たのか。そしてどのように戦争を始めたのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;リカルド・ホセ&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史学博士&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン大学デリマン校教授&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Part２&lt;/p&gt;&lt;p&gt;（大日本帝国軍の開戦）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　戦争は1941年12月8日に始められた。真珠湾はフィリピン時間で早朝２時30分に爆撃され、フィリピンにもすぐに知らせが入った。フィリピン国内で最初に爆撃されたのはダバオとバギオがほぼ同時。大体1時間差くらいで空爆されました。ダバオが空爆されたのは、とても繁栄した日本人移民の入植地（マニラ麻栽培の農園など）があったからです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ダバオの占領は東南アジア南部進出のために重要な拠点で、オランダ領東インド（インドネシア）攻略には欠かせない要所です。そしてバギオには米軍基地のキャンプ・ジョンヘイがあった。マッカーサーがバギオにいるかもしれないという噂を、当時何人かの日本軍将兵が聞いていた。バギオも市民の町ではなく、米軍基地キャンプ・ジョンヘイが戦略上重要な軍事拠点だった。開戦初日に何が起こったかを見てみると、北のバギオと南のダバオが爆撃された。初日に占領された島がもうひとつあった。バタアン島。島の北側の住民は日米戦争が始まった事も知らされずに、日本軍兵士と戦艦に囲まれて占領された。開戦初日に奇襲攻撃があっただけではなく、すでにフィリピン国土の占領が行われていたのです。フィリピンは当時アメリカのコモンウェルス政府でした。だから我々は宣戦布告は出来なかった。私たちは宣戦布告する公式の権利を持たなかったが、アメリカの戦争に協力した。そしてアメリカが宣戦布告した時、フィリピンは直ちに協力した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;当初大日本帝国軍の軍事作戦は大変速く、初日から同時多発的に各地で始まった。バギオとダバオの爆撃に続いて帝国海軍はクラーク基地を空爆した。そこは米軍の主要な空軍基地だったからだ。米軍はすぐさまフィリピンを近代兵器、最新の戦車や航空機で強化しようとした。それが日本軍が急いで侵攻したかった理由でもあります。何故ならもし遅くなればフィリピン軍の防衛力が益々強化され、日本軍が侵攻出来なくなるからです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　12月8日は月も良く、潮目も良く、米軍はまだ十分にフィリピン軍を軍事強化出来ていなかったので絶好の進軍日和だった。しかも実際開戦するに当たって、この時期は乾期の始まりです。陸上の軍事作戦は6月までやり易い。雨期が来るまで4、5ヶ月間軍事行動を続けられます。開戦時期に関して大日本帝国軍は季節や気象条件などをよく調べて、全ての好条件が揃っていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一方クラーク空軍基地の飛行機は、朝離陸して大日本帝国軍の来るのを見張っていた。また彼らはマッカーサーからの台湾（当時日本の植民地）攻略指令を待っていたが、何の指令も出されなかった。マッカーサーは奇襲前の数時間沈黙していた。そして彼がやっと台湾攻略指令を出した時、最初に偵察機を送った。そして全ての航空機に給油させ、爆弾を搭載させ、乗員を昼食に行かせた。そしてその間に台湾から大日本帝国軍機が飛来し、地上の米軍機を発見し、ほとんどの航空機を初日のうちに破壊してしまった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　開戦初日にして米軍はほぼ半数の航空機を失い、クラーク空軍基地はむき出しの危険な状態になっていた。そこで残りの飛行機はミンダナオに避難しなければならなかった。これで米軍は実質的にルソン島の制空権を失った。少しの飛行機がフィリピン空軍に残っていたが、到底大日本帝国軍の戦闘機に太刀打ち出来るものではなかった。そこには対航空機用ではない銃器もあったが、旧式で砲弾は日本軍機の飛行高度には届かないものだった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　開戦初日から大日本帝国軍は優勢に侵攻を進めていた。そして主要上陸隊が到着し、いくつかの小規模隊がラオアグ、ビガン、アパリ、そしてレガスピに上陸し、北部と南部の飛行場を閉鎖させた。南部のダバオは12月20日に、そして24日には南のホーローやスールー諸島も侵略し、フィリピンは北と南の帝国軍によるサンドイッチ状態になった。北部と南部に上陸し、フィリピン東部にも飛んで、実質フィリピンは分断された。また帝国軍は南海のマリアナ諸島のサイパン島、ティニアン島を攻略、パラオ諸島のペリリュー島も攻略した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　太平洋からやって来たアメリカの援軍はすぐに日本軍に止められた。アメリカ領だったグアム島は24時間で陥落し、約一週間後にウェーク島が侵略された。これらの島々が占領されてしまうと、フィリピンに行こうとするアメリカ軍の航空機は何処を通っても大日本帝国軍が占拠している地域を通らなければならなくなった。オーストラリアを回って行くのは遠過ぎるし、より危険だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピンはその後実質的に数ヶ月間米軍から見放されていた。米空軍がいなくなって以来、米軍のアジア航空戦計画はフィリピンを見放し、オランダ領インドネシアの油田を防衛した。米軍はフィリピン国土と空軍力を失っただけでなく、海軍力も開戦初日に失った。12月22・23・24日に日本軍のフィリピン防衛主力部隊が上陸した。彼らはリンガエン湾やバラール、タヤバス湾の海岸に上陸した。大日本帝国軍が海と空両方で攻撃して来るのに対し、フィリピン軍の兵士たちはあまり訓練されてないばかりか武器も古かったので、数時間後の戦闘でフィリピン軍は退却して行った。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;X　　　X&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　なるほどジミーさん、これが戦場の実態だったんですね。大日本帝国軍は最初は凄く強かったんです。彼らは同時多発的な攻撃を素早くやることに成功して一気に攻めたんですね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　だから米軍は最初の数ヶ月で敗退し、日本軍に包囲されたんです。そしてバターン死の行進が起きました。さあホセ教授の「デスマーチ」編を続けましょう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;リカルド・ホセ&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史学博士&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン大学デリマン校教授&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Part３&lt;/p&gt;&lt;p&gt;（コレヒドール島とバターン死の行進）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　マッカーサーは海岸線の防衛が手薄だったので、バタアン半島とコレヒドール島の防衛を命じた。全軍がバタアンとコレヒドールに4月9日まで集結し、結局バターンで全軍が降伏した。米軍は食糧や医薬品が不足し苦しい戦いになった。しかし大日本帝国軍は強かった。米比軍よりも数が少なかったが、米軍がバターン半島全体を防衛しなければならなかった反面、帝国軍は手薄な攻略地を選ぶことが出来た。したがって帝国軍は局地的には勝っていた。またその後シンガポールや中国や日本本土から元気のいい援軍を追加した。しかしバターンの米比軍防衛隊はとても少ない食糧、少ない医薬品、疲れた体で4ヶ月間応戦した。そして帝国軍が4月に総攻撃を仕掛けて来た時、たちまち前線は崩れた。まだ交戦したかったけれども、多くがすでに疲れ果て病人も多く、バターン防衛軍は4月９日に降伏した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　その後バタアン死の行進の悲劇が起こるのですが、その前にバタアンにあるパンテイガン川のほとりで深刻な虐殺（Pantingan River Massacre)が行われていた。1,000人近い将校と兵士が首を切られて殺されました。その場所は白骨場として知られていて、今でも多くの遺骨が発掘されています。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　米軍が4月９日に降伏した後に、バタアンの帝国軍はほとんどの捕虜に対し徒歩移動を強要し、それが「バターン死の行進」になった。何故なら兵士を輸送するトラックがなかったからです。バタアンにトラックはあったんですが、すでに米軍によって破壊されていたんです。しかしトラックがあったとしても、兵士たちは多かれ少なかれ歩かされただろう。一日中歩かされ、食糧も水も与えられずに徒歩移動を強要されました。帝国軍は当時そんな大勢の捕虜が投降して来るとは思わなかった。そんな食糧は準備していなかったと言うが、多くの兵隊が日本兵によって殺されている事の説明にはなっていない。千人が殺されたり、バターンのあちこちで首を切られるような深刻な虐殺が沢山行われていた。戦争の初期段階ですでに残虐行為が起きていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　コレヒドールの　米比軍防衛隊も1942年の５月6日に降伏しなければならなかった。それがフィリピンに於けるアメリカ合衆国極東軍の公式な防衛作戦の終焉でした。バターンでの降伏が4月９日、そしてコレヒドール島が5月6日です。当時の大日本帝国軍総司令官、本間雅晴中将はコレヒドール島のみの降伏を許可せず、「コレヒドール島にいる兵隊は人質として捕えた。我々はいつまでも戦いを続けることが出来る。フィリピン諸島にいる全軍が降伏しろ」と。コレヒドールの司令官はビサヤやミンダナオの司令官にラジオでそのことを伝え、降伏するように指示した。もしも皆が降伏しなければ、コレヒドール島の我々は殺される。だからビサヤやミンダナオの指揮官は、まだ戦っていないにもかかわらず降伏しなければならなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;X　　　　　X&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　アルジュン、ジミー、私はバターン死の行進しか聞いてなかったわ。「セレクティブ・ヒストリー（選択的な歴史）」と呼ばれる大ざっぱな歴史だったんですね。私たちは一部しか聞いてなかったんです。私たちは死の行進で人々が亡くなったことしか知らなかった。でもその前にすでに千人単位の兵士たちが殺されていたんですね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう、私たちは知らなかった。死の行進は写真があったんですが、その事件の写真は見たことがなかった。でも日本軍が何時フィリピンを制服したかは知っていた。数ヶ月後の1942年5月6日に日本軍の占領政策が始まった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　以前バギオの医者だった故ドクター・チャールズ・チェンが、大日本帝国軍の戦争目的は正しかったと言った。スローガンは「アジア人のためのアジア」。フィリピン人は皆熱狂して帝国軍に協力した。私たちは西洋人に植民地にされたくないからです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt; 何かちょうどフィリピンに来て、フィリピン文化の独自性を捜している日本人みたいですね。  &lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　しかし日本兵の中にも乱暴な兵隊がいるんです。さあホセ教授の説明の続きを聞きましょう。大日本帝国軍のフィリピン占領。日本兵はどのようにフィリピンを征服したのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;リカルド・ホセ&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史学博士&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン大学デリマン校教授&lt;/p&gt;&lt;p&gt;Part４&lt;/p&gt;&lt;p&gt;（日本軍政府の統治と第二フィリピン共和国）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　1942年1月までにマニラ、イロイロ、サンボアンガ、バギオなどのほとんどの主要都市が大日本帝国軍に占拠された。帝国軍は大日本帝国軍政部と言われた統制本部を設立した。そしてマニラ入場後に全国に戒厳令を布告、すべての人々の行動を制限し、帝国軍に反抗したものは犯罪者と見なされ処刑されると公表した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　略奪者も厳しく罰せられると忠告した。帝国軍が入場する前は命令が行き届かなく、各地で略奪が横行していた。しかし軍政部により略奪者を厳しく罰するという命令が反復されてからは、何人かの略奪者が捕まり、見せしめとして炎天下に晒された。別のケースは公衆面前で殴られた。また1942年1月までに少なくとも1件、マニラで２、3人が公衆面前で公開処刑が行われた。後にバギオでも3、4人のフィリピン人が略奪者やゲリラだとして公開処刑された。これが大日本帝国軍の懲罰と戒厳令の方法でした。軍隊式教育と戒厳令を強制したやり方で、公開処刑や公開拷問を行いました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;  これはこれまでフィリピン人がやられたことがなかった方法でした。アメリカ軍もやらなかった。処刑はしましたがあのような公開処刑はしなかった。また日本軍は占領した地域の要所に歩哨小屋を設けた。マニラでは橋のたもとや戦略上重要な通りの角に設け、そこを通る人すべてが歩哨にお辞儀をしなければならなかった。フィリピン人はお辞儀をするのに馴れていない。フィリピンの歴史上やらされたことがなかったので違和感のある強制だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　開戦前にフィリピン人は日本兵が強い戦士だとは思っていなかった。日本人は安っぽい人々だと思っていた。安い製品を作る人々。いい床屋やいい庭師だったが、いい戦士だとは思っていなかった。フィリピン人は日本人を見下げていた。日本兵がやって来た時、彼らは米兵やスペイン兵と違っていた。米兵やスペイン兵は色が白く背が高い。しかし日本兵の肌の色は違っていた。だから新しい征服者だとは認めたがらなかった。国歌でも「いかなる征服者にも屈せず」と歌っている。この日本兵が征服者なのか？フィリピン人は日本人を新しい征服者と認めることは出来なかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;また日本兵は、言っている事が分からないフィリピン人にはビンタを与えた。歩哨の前を通る時にお辞儀をしなければならないが、そんな事を知らなかった人は「こらっ」と呼び戻されてビンタ（平手打ち）を食らった。これまでのフィリピン文化にビンタというものはなかった。お辞儀をさせられビンタをくらった。そうしてフィリピン文化は戦前からある日本的仕来り、武士道に反するとして破壊された。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そして早くも抵抗運動が始まった。バタアンで降伏してもフィリピン人の精神はまだ降伏していない。戦い続けるとして、若人や学生たちは独自のゲリラ組織を作った。いくつかの地方政府、たとえば北イロコス州のアブラン知事は、州政府を山頂に避難させて無傷だった。ケソン大統領のコモンウェルス政府はコレヒドール島に避難し、島が陥落する前にオーストラリアに脱出し米国に避難した。だからフィリピンのコモンウェルス政府はワシントンDCで健在だった。大日本帝国軍政府はそれを無視し、フィリピンが米国に勝利したと宣伝した。戦争は終わったとして、帝国軍は国内の平和を回復させた。略奪もなくなり平静が戻った。しかしその代償は何だったのか。ビンタや殴られる日本兵の暴力。日本兵に反対した人々は逮捕され拷問にかけられた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　軍事規律を徹底させるために、憲兵隊という軍警察がいた。彼らは反日分子と疑わしきものはすべて逮捕した。書いた手紙は憲兵隊に読まれ検閲され、反日的な内容があれば逮捕され拉致された。マニラのフォートサンチャゴやバギオの古いバヤニハンホテルなどが当時の憲兵隊本部だった。全ての町には憲兵隊本部があった。そしてここが大日本帝国軍統治で最も恐ろしい場所だった。もし憲兵隊に逮捕されたら、恐ろしい方法で拷問にかけられた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　帝国軍はフィリピンが様々な食品において食糧自給が出来ていない事を知っていた。米も自給出来ずにベトナムやタイから輸入していた。他の製品でも自国では製造しないアメリカンシステム、すなわちアメリカからの輸入経済に依存していた。だから物資が不足している事をすぐに感じた。ひとつの解決策は輸入品に変わる国内産のものを捜す事だ。そして帝国軍政府は米不足がフィリピン全体の問題になる事が分かっていたから、米を増産するために日本から技術者を連れて来た。日本米や新しい品種の種と肥料、そして日本的稲作法を持って来た。しかし農業の結果はそんなに早く出せません。帝国軍は1942年には国土全域を占領した。そして農業改革を始め、統制による経済運営を始めた。さもなければうまく行かない。すべてを管理しなければならない。公正な自由放任主義や自由競争制度は許されない。戦争中だから、全ては管理しなければならない。フィリピンの資源は戦争遂行に必要だ。戦争に必要がない物資は市民に配られるが、それには限りがある。だから全てのものが配給になる。日本や朝鮮、台湾でも同じことが実施されていた。人々を管理するために「隣組」と呼ばれた組合が組織された。食糧や石けん、米の配給券が配られ、同時に地区ごとに住民のチェックが行われた。これがゲリラや反日の活動を監視するひとつの方法だった。その家に誰が住んでいるのか、住人の名前のリストが作られ管理された。配給制度は住民管理の方法だった。名前が隣組のリストになければ食料配給はもらえない。すべてが管理された。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　思想や新聞は検閲され、ラジオや映画も統制され、親米的なもの全ては排除された。教科書は検閲され、民主主義やフィリピン・コモンウェルス政府、アメリカ合衆国、リンカーンなどすべてが教科書から削除され、こうしたすべてを変えなければならないと言われた。しかし新しい教科書を作る時間はなかったから、今ある教科書を検閲して削除した。そして彼らは日本的な思考を持ち込んで来た。教養課程の一部として日本語を教え始め、日本語は学校教科のひとつになった。学校に入学したら好き嫌いに関わらず日本語を勉強し、政府職員も日本語を履修しなければならない。隣組と同時にラジオ体操も強要され、フィリピン人は鍛錬されなければいけないと言った。アメリカシステムでは、フィリピン人は政府を注視し政府がくれる恩恵を考えていればそれで良かった。しかし大日本帝国軍政府は違うと言う。我々はフィリピン人に政府のために働く方法を教える。政府に適合し、鍛錬しなさい。ラジオ体操が効果的だ。体力を付け健康になるだろう。またそれは人々に服従を教えるだろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そして日本語教師を連れて来て日本式教育方法ですべてを教えた。アメリカの休日はすべて廃止。ワシントン大統領の誕生日は廃止され、代わりに日本の休日が実施された。天皇誕生日、日本の建国記念日が休日になり、戦前のフィリピンの休日は廃止された。つまりフィリピン全部を日本化しようとした。フィリピンを日本的な国にしようとした。そして一方ではあなた方が誰なのかを考えよと言った。あなた方はアジアの一員だ。大日本帝国軍政府は我々にアジアの一員である事を再認識するように仕向けた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;郷土に戻れ。自国語を話せ。祖国の文化に戻ってアメリカ文化を捨てろ。自分のルーツに戻れ。これが「アジア人のためのアジア」という考えの一環で、宣伝キャンペーンがあった。伝統に則った自文化を養え。同時に日本文化を取り入れて、米国文化は捨てなさい。平和時だったら効果的だったかもしれないが、戦時で軍事体制が行き渡っていた。軍は日本人教師を派遣し、経済学者や農業指導員が導入された。宗教指導者さえも派遣され、そのすべてを軍が掌握していた。帝国軍がすべてを牛耳っていたので、その裏で破壊の反日活動がはびこった。その中で帝国軍の宣伝キャンペーンが流された。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ひとつだけフィリピン人の信頼を獲得する方法を東京の大日本帝国軍政府は考えた。米国は1946年にフィリピンに独立を与えると約束したが、大日本帝国はその前に与えようと言った。米軍はもういない、帰っては来ない。だから大日本帝国がフィリピン国に独立を与えよう、あなた達に準備ができているのなら、と言った。軍に協力すれば独立を与えるとちらつかせたのだ。そして軍政府に全面的に協力すれば、彼らはジョージ・B・バルガスを筆頭にしたフィリピン行政委員会を組織すると言った。また知事や市長を各地に置こう。そしてやがてバギオには市長が、ベンゲット州には州知事が置かれた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　こうした事を軍はフィリピン人主体にやらせた。日常の行政は各地の行政府区が行う事。帝国軍政府は職員に給料を払ったり、人々から税金を徴収したりする仕事で煩わされるのは嫌だったので、日常の些末な事はフィリピン人の行政指揮官が取り仕切った。税金は値上げされ、燃料は帝国軍に供出、すべての武器は軍に徴収される。帝国軍は執行委員会に命令を伝え、執行委員会がその命令を実行する。帝国軍は出来る限り戦前のフィリピン政府体制に近づけようとした。しかし東京政府はフィリピン人の忠誠を獲得するためには独立を与えるべきだと考えた。彼らは1942年にそう言って、一年後の1943年に総理大臣/陸軍大臣/参謀総長の三職兼任した東条英機大将が発表した。もし大日本帝国がやっている事をフィリピン人が理解し、帝国の戦争に同意して協力するならば独立を与えよう。　　　　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そして1943年5月に総理大臣東条が現状視察のためにマニラを訪れた。多数のフィリピン人が委員会を先導するために帝国軍によって選ばれた。ロウレル、バルガス、レクト、アギナルドなどの著名人がフィリピン独立準備委員会に任命された。彼らの主要任務は新しいフィリピンのための憲法草案作りだ。彼らは出来るだけ早く仕上げろと言われた。１、2ヶ月で簡素な憲法を作れ。委員会のフィリピン人側は、権利条項も入れなきゃ、これも入れるべきだと言ったが、日本側は必要ないと言う。何故ならばそれは戦争と関係ない。そうした話し合いのやり取りが交わされ、結局出来上がったものは風変わりな憲法だった。大変強い大統領と、政府に対する権利よりも市民の義務を重視した憲法、それは大日本帝国に好ましい憲法になっていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　またこれも大日本帝国の宣伝活動の一部で、帝国軍はごく制限された選挙を許した。もうひとつ帝国軍が作った委員会はカリバピと言われるもので、政府を支援する組織。ちょうど大日本帝国の大政翼賛会の様なもので、帝国主義支配を補佐する団体だった。単なる政党ではない全国組織の団体で、国民全員参加の大きな政治組織だった。カリバピは選ばれた国民議会の議員たちにゆだねられた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　1943年9月に新憲法下で選ばれた国民会議の議員たちが、国会で大統領を選んだ。それがホセ・P・ラウレルだった。後にラウレル、ベニグノ・アキノ・シニア他の主要メンバーが東京に招かれ東条と会った。そこで日本側は来月フィリピンに独立を与えると言う。しかしその後フィリピンが米国に宣戦布告し、大日本帝国と条約を結ぶことを条件としていた。大日本帝国側はあらゆる付帯条件をつけたが、ラウレルはそれは出来ない、と承諾しなかった。ラウレル達が帰国すると帝国軍は10月14日のフィリピン独立を公表しあらゆる準備をしていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　1943年10月14日以降フィリピンにおける日本軍政府はやめて、ラウレルによる第二フィリピン共和国と呼ばれる政府が誕生した。しかしその上に依然として帝国軍が君臨していた。軍政に加えて占領下の至る所に陸軍第14方面軍と呼ばれるものの存在があった。陸軍第14方面軍はフィリピン全土を占領する陸軍軍隊だった。彼らは憲兵隊を指揮し、全ての陸上部隊とフィリピン部隊を統括した。日本軍政府は第14方面軍の一部だったのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　共和国が独立を果たしたかのようだったが、依然として大日本帝国軍は存在し続けた。一般フィリピン国民にとっては日々の生活でとても小さな変化しか起きなかった。食糧配給制度は続き、街角の歩哨はまだあった。唯一変わった事はフィリピン国旗の政府庁舎掲揚が許可された。タガログ語が重視されたが、カリバピは依然存在し、ラジオ体操は引き続き強要された。郵便物やメデイアの検閲はそのまま終戦まで続けられた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　なるほど。統治のルールがアメリカやスペインとは違って、全く違う軍事計画に基づいていたのね。ここでリスナーからのメッセージが来ています。「何か私はフィリピン近代史3年間コースの講義を受けたような気がしています」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　本当そうですね。もしこの講義を受けたらおそらく一学期の歴史授業くらいになるんじゃないですか、ジミー先生。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;クリスティー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　私は10冊も本読みたくないわ（笑い）。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そう、それよりもずっと楽だよね。美しい話もあったと思うな。僕の印象は、僕たちがあの時代に戻った感じだったね。残虐行為は付随的なものだった。だって日本兵たちも人間的だったんです。彼らは彼ら自身の心構えやライフスタイルを一緒に戦場に持ち込んで来たんだ。そして彼らがフィリピンに来たときが、自分たちは風変わりだって事を感じる機会だったんじゃないのかな、たぶん。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ジミー&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　フィリピン人は当時規律を欠いていました。ホセ教授の説明によると、日本兵が訓練させる、私たちに訓練させたかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;アルジュン&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ちょっと昔の人たちの、日本人は厳しかったって言う話を思い出してみよう。だって当時フィリピン人は規律を欠いていたって言うんでしょ。それが話の背後にある。だけどもし当時フィリピンが真のアジア国になるために独立を与える、というのが本当に日本人の誠実な意図から来たものだったとしたら、僕はそれはいい方向性だったんじゃないかと思う。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;日本人への疑念の中のいい面を捜してみましょう。おそらく彼らは事態を明るい方向に導こうとする良い意図を持っていた。しかしもし彼らが当時のフィリピン人はしつけを欠いていたと言うならば、日本兵たちも欠いていたと思う。何故ならばどうして日本兵はあんな拷問をしなければならなかったのか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;番組は続きますが、これ以降は報告書を参照ください。以下に上記のリカルド・ホセ教授の解説を含む、報告書全体の目次を引用します。&lt;/h2&gt;&lt;div&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;大東亜共栄圏地図&lt;/p&gt;&lt;p&gt;オープニング　フィリピン国家「最愛の地」　　　　　　　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;テーマソング　「OPEN HANDS」 &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歌「AMAZING GRACE」　おおたか静流＆ASU &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説１　リカルド・ホセ教授　「何故フィリピンが戦争に巻き込まれたのか」　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説２　リカルド・ホセ教授　「大日本帝国軍の開戦」　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説３　リカルド・ホセ教授「コレヒドール島とバターン死の行進」　 &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説４　リカルド・ホセ教授「大日本帝国軍の統治と第二フィリピン共和国」&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　テディー・コ　　　　　映画評論家　　　　　　　　　 　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説５　リカルド・ホセ教授　「反日ゲリラ活動の躍進」　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; 　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　ラフィー・カプノ　　　市民劇場演出家　　　　　　　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　古屋英之助　　　　　　バギオ生まれの写真家　　　　　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　カルロス寺岡　　　　　北ルソン比日基金代表　　　　　　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歌「音戸の舟歌」　おおたか静流　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歌「村の仲間と」　ブライアン・アリピン　　　　　　　　　　　　　　　　 &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説６　リカルド・ホセ教授　「マッカーサー再上陸」　　　　　　　　 &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　ミルナ・シーズン　　　　　　べンゲット州立大学講師　　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説7　リカルド・ホセ教授　「反日ゲリラの抵抗と日本軍の虐殺」　　&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　ジョアン・オレンダイン　　　メモラーレマニラ1945会員　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　アレックス・マラリット　　　犠牲者の遺族　　　　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　テオドール・バワン　　　　　元ベンゲット獣医師　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説８　リカルド・ホセ教授　「戦争は多くの年を破壊し人々を殺した」　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　ボニファッショ・ドウマノップ　ワンワン村村長　　　　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説９　リカルド・ホセ教授　「戦争の歴史から学ぶ」　　　　　　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歌「VOICE IS COMING　おおたか静流＆ASU         　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ゲスト　キドラット・タヒミック　　　　　バギオ在住映画監督　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　ニック・デオカンポ　　　　映画監督　　　　　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歴史解説10　リカルド・ホセ教授　「日本人が戦争から学ぶべきこと」　　&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　石田甚太郎　　　　　　　　作家　　　　　　　　　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;インタビュー　シオニール・ホセ　　　　　作家　　　　　　　　　　　　　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ゲスト　渡部朋子　　　NPOアント代表　映画「ヒロシマ・ナガサキ」制作者　 &lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歌「Ｉ　ＲＥＭＥＭＢＥＲ　ＹＯＵ」　おおたか静流＆ＡＳＵ　　　　　　　　&amp;nbsp; &lt;/p&gt;&lt;p&gt;あとがき&lt;/p&gt;&lt;p&gt;フィリピン地図&lt;/p&gt;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/978954ec4989c9a5fa9628409bce6716_38b8eb7971754aa6d67e454d3240dd8e.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;最後にサルボン代表今泉光司の報告書あとがきから。&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;あとがき&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私が生まれ育った家の隣に、朝から晩まで大きな声で怒鳴っていた怖いおじさんがいました。庭を通しておじさんの大きな怒鳴り声と、奥さんが叫ぶ声や子供達の泣き声が毎日聞こえて来て、どうして隣のおじさんはこんなに怖いのだろうと幼い私は怯えていました。後になって分かったことですが、そのおじさんは中国戦線からの帰還兵でした。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;日本は戦後急速な高度経済成長を成し遂げました。しかし日本が起こした戦争のことは一切語らず、検証せず、反省せず、子供たちに教えずに、今年開戦から75年が経ちました。そうするうちに「日本は敗けたから悪者にされた。しかし本当はアジアの国々を欧米の植民地支配から救うために大東亜戦争を起こしたのだ」と言う説明をマスコミで語ったり本に書いたりする人が出てきました。戦後、結果的にアジアの国々は植民地から解放されたのですが、はたしてそれが本当に日本人が大東亜戦争を始めた理由なのだろうか。私は本当のことが知りたかった。今でもそう思っています。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;大日本帝国軍がアジア各地で行った戦争を何も知らされることなく私は教育課程を終えました。その後映画の助監督の仕事をしながら世界を旅し、東南アジアをまわってフィリピンを訪れました。当時私は大日本帝国軍がどのようにアジアを占領統治したのかの一切を知らず、山下奉天大将の名前さえ知りませんでした。戦前からフィリピンに移住していた日本人とその子孫が戦中戦後どんなに苛烈な体験を強いられたのかを教えてくれたのが日系２世のおばあちゃんでした。そして2005年に日系山岳民家族の劇映画「 アボン・小さい家」を制作しました。その後NPOブリッジフォーピースの同志や作家石田甚太郎さんと出会いました。日本兵がフィリピンで行った蛮行の数々を知るにつけ、私たちの父親や叔父、祖父達がどうしてあんなひどい戦争をやってしまったのか、何故やってしまったのかという単純な疑問が消えません。やってしまったことはもう消すことは出来ません。あまりにも苦しいので、何も語らずに多くの退役兵の方々はすでに他界しました。先代がやってしまった罪を戦後生まれの私たちが引き受けていくのはつらいことです。しかし戦争になんの関係もない戦後生まれの私たちも、「日本が何故、何処でどんな戦争をやったのか」を知らなければいけない。日本人はあの戦争のことを学習しなければいけない。なぜならば、あの戦争を始めたのは当時の日本、大日本帝国だからです。そしてあの戦争は人類史上最悪の悲劇になりました。その第二次世界大戦を歴史的に検証し、二度と戦争を起こさないようにするためには、「日本が何処でどんな戦争をしたのか、何故やったのか」を知ることが欠かせない学習だからです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;慰霊祭に何度も参加してくださった中国系比人の郷土歴史家が話してくれました。大日本帝国軍のスローガン「 アジア人のためのアジア」は感動的で多くのフィリピン人が歓喜した。しかし大日本帝国軍がやったことはとても残酷で従えなかった。多くの日本兵の話を聞いた作家の石田甚太郎さんは、日本の兵隊にもひどいことをやらなければならなかった理由があったと言う。食べ物が全くない。武器もない。それに加えて何処から攻めて来るか分からないゲリラが恐ろしくて仕方がない。それで大量虐殺をしなければならなかった、と言います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;戦争末期、学徒出陣で多くの若者がフィリピンに送られました。その時「アジア解放の聖戦」は名ばかりで、兵隊の任務は民間人から食糧を奪い、女子供も殺して家を焼くことでした。そして挙げ句の果てには雨の山中を飢餓状態で放浪し、戦友を食ったり戦友に食われたりしながら、たくさんの兵士が惨めに死んで行った。そんなおびただしい数の若い日本兵のことを考えると私はとても悲しく、いたたまれない気持ちになります。さぞかし無念だっただろうと思う。フィリピン人達も、後ろ手に縛られて井戸に突き落とされた人も、大切なお父さんを目の前で殺された子供達も、さぞかし悲しく無念だっただろうと思う。そして今また、そうした戦争の歴史を掘り起こし記憶しておこうとする作業も、とてもつらい事です。しかし戦争を学ぶことによって人間は凄く成長するのです、とリカルド・ホセ教授が教えてくれました。そのホセ教授の言葉が私はとってもうれしかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;数年前に亡くなりましたが、実家の隣に住んでいた怖いおじさんは晩年、私の慰霊祭の報告書を読んで涙を流して喜んでいた、と家族の方から聞きました。私たちは死んだ人たちのためにも、そうしたつらい過去を糧にして成長しなければいけない、と思います。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;NPO法人サルボン　今泉光司&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームに戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 10 Mar 2021 11:07:28 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/4735370/page_202103102007</guid></item><item><title>映画「アボン 小さな家」</title><link>https://www.salubong.asia/pages/4125729/page_201603171106</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;自然に生きる。自然の中で生きる。&lt;/h2&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;日系フィリピン人家族の絆の物語。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/5e6d197fe9b18a04730c41e44262f1cf_5c3feae1caea49d5a0b8a1acfcbb5b94.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;フィリピンの北部山岳地帯、コルディレラ地方。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;村々には豊かな自然が残り、伝統的でつつましい生活が今でも息づいている。&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;そこには美しい家族の絆と人々の生き方があった。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=Z5MyNhY2-XA&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/Z5MyNhY2-XA/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;映画の詳細については以下のリンクを是非ご覧ください。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://smallhome.jimdosite.com/&#34;&gt;映画 「アボン小さな家」 ホームページ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/c3b7ec099287aa4cb1bc46b1719a038f_e869e5d8badc7bba59e98705ae92a268.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h3&gt;サンパウロ国際映画祭2005 公式ノミネート &lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;ベルリン アジア・パシフィック映画祭 公式ノミネート&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;インド ケララ国際映画祭 公式ノミネート&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;&lt;br&gt;&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;今泉光司第一回監督作品&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;出演： ジョエル・トレ、バナウエ・ミクラット、キドラット・タヒミック&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;脚本： 今泉光司＆クリスティー・S・アバン&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;製作： 日NPO法人サルボン＆比NPOルボン・バギオ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;配給宣伝： アルゴ・ピクチャーズ&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;後援： 国際交流基金、フィリピン芸術文化評議会&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;協賛： フィリピン航空&lt;/h3&gt;&lt;h3&gt;日比NPO合作／カラー／オリジナル16mmデジタル編集版／1時間51分&lt;/h3&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/336d34ab8d55cd4addbe261cdcef84c7_b5d17ea6998b22fbc238f5e670055e34.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームへ戻る&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2020 04:25:33 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/4125729/page_201603171106</guid></item><item><title>活動の概要</title><link>https://www.salubong.asia/pages/4125728/profile</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;サルボンの活動は、映画・ビデオの制作上映、ワークショップなどを通した、日本とフィリピン、東南アジアの国々との国際理解、国際交流の促進です。活動の詳細はそれぞれのページ、およびサルボンからのお知らせをご覧ください。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/8719175/page_202502151438&#34;&gt;サルボンからのお知らせ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;ビデオの制作&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;「日比戦争遺族の合同慰霊祭」、「メモラーレ・マニラ」、「比島観音例大祭」等を取材したビデオがYouTubeで見られます。ぜひご覧ください。以下紹介のもの以外のビデオは、ビデオの紹介ページからご覧ください。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=D4fn0l5lO48&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/D4fn0l5lO48/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=azCfh9wAfAc&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/azCfh9wAfAc/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=IBU8UvFHEjQ&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/IBU8UvFHEjQ/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/6929018/page_202304151637&#34;&gt;ビデオの紹介ページ へ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;映画「アボン 小さな家」&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;&lt;br&gt;&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;サルボンは2002年にフィリピンでロケを行い日比協働制作劇映画「アボン 小さな家」を完成させました。その後世界各地の映画祭に招かれ、日本国内各地で上映されています。&lt;br&gt;&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/eb75446ffe1af69fce706eb792f83d87_e32c2a925aa0a2431849064562483cc4.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=Z5MyNhY2-XA&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/Z5MyNhY2-XA/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/4125729/page_201603171106&#34;&gt;映画 「アボン小さな家」ページへ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;映画上映活動&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;サルボンでは全国各地で出張映画上映会を行っています。以下に過去の上映会のいくつかを紹介します。&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;今後の上映会やイベント等については、「サルボンからのお知らせ」をご覧ください。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/8719175/page_202502151438&#34;&gt;サルボンからのお知らせ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/87454ef96e881b4ab925fff7fb8dff20_d3d09375e94b979c3ed52886ef01c28c.png?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/056dcda55f32ce233213cc15f7f68881_7e6b2e33ef71d48b27ef0bc8d6ea4c66.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;戦後80年日比合同慰霊祭&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;敗戦から80年目の2025年4月に日比のフィリピン戦従軍兵の遺族会による国際合同慰霊祭を行いました。4月19日、20日の2日間、場所はバギオ市とアトック桜公園、ともにフィリピン、ベンゲット州です。日本側の遺族会は蒲郡の三か根山にある比島観音奉賛会です。フィリピン側の遺族会は米比軍USAFIP NL、バギオ・ベンゲット支部の方々で、若い方も多くいる団体です。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/c650a03074ec37f08b5fba7006cc9603_873f573251ee84e2cbdffdd73723ba07.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/9605272/page_202602191443&#34;&gt;活動報告&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;アジア太平洋国際平和慰霊祭&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;サルボンはフィリピンのバギオ市を中心にして、現地NGOイヤマンと共催でアジア太平洋国際平和慰霊祭(APIPM)を行っています。第6回APIPMは2015年12月6日に行われました。YouTubeでAPIPMのテーマ曲が聞けます。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/7da5ed4bc51caa743bb4f2540b7061c1_d8a643af843e4738ea0569684cf15a78.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/4735370/page_202103102007&#34;&gt;活動報告&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;URL: &lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=dsuhm-Mxt60&#34;&gt;www.youtube.com&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://i.ytimg.com/vi/dsuhm-Mxt60/hqdefault.jpg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;&lt;b&gt;イヤマン支援&lt;/b&gt;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2&gt;サルボンは、ルソン島北部山岳地帯のベンゲット州全域を中心に村々の教育や医療支援の活動している社会活動団体イヤマンの行う、コロナ禍で授業を受けられなくなった生徒たちを支援する教育プロジェクトの支援を行いました。&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/e5225449a7405b1ddbaca9d8d9a9486d_e70a76ba5d5ec82b674904e0b3b5c815.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/4735380/page_202103102010&#34;&gt;活動報告&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/&#34;&gt;ホームページへ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2020 04:25:33 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia/pages/4125728/profile</guid></item><item><title>ようこそ</title><link>https://www.salubong.asia</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h1 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;u&gt;&lt;b&gt;SALUBONG&lt;/b&gt;&lt;/u&gt;&lt;/h1&gt;&lt;h1 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;サルボン公式ホームページ&lt;/b&gt;&lt;/h1&gt;&lt;h1 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;&lt;b&gt;SALUBONG HOME PAGE&lt;/b&gt;&lt;/h1&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/58019c72cf9649ef7de3945e68b3dade_fdc07345b4be1184e5bb7d2800c7f6cb.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;（このサイトは日本語で出来ていますが、皆が読めるように冒頭に英語の説明を入れています。短い英語の説明の後、日本語が続きます。）&lt;/h2&gt;&lt;h2&gt;This is official home page of SALUBONG (Japanese NPO). 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If you see &#34;Salvon&#34; or &#34;Sarbon&#34; in the translation, please read them as &#34;SALUBONG&#34;.&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h1 style=&#34;text-align: center;&#34;&gt;お知らせ / NOTICE&lt;/h1&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/8719175/page_202502151438&#34;&gt;サルボンからのお知らせ&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1044131/06c542eae001bb5d0b98144e692cc9d6_e13cd2ad5f47cbac85df29e1a0bfd16b.png?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=D4fn0l5lO48&#34;&gt;第２回日比合同慰霊祭　歌と踊りの祭典　2026年4月27日　バギオ市キャンプアレン&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.youtube.com/watch?v=0wK3RgccoE0&#34;&gt;The 2nd Japan-Philippines Joint Memorial Service: A Festival of Song and Dance&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;サルボン(SALUBONG)は1996年ドキュメンタリービデオ「地球で生きるために、自然農法福岡正信」制作の際に、任意の非営利映像製作プロダクションとして今泉光司によって設立されました。その後2000年に特定非営利活動法人（NPO法人）サルボンとなり「日比協働制作劇映画アボン小さい家」を自主制作し、2005年に日本で劇場公開されました。&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;h2 style=&#34;text-align: left;&#34;&gt;サルボンは発展途上国で生活する人々の立場から、映画の制作上映、ワークショップなどを通して、日本とフィリピン、東南アジアの国々との国際理解、国際交流を図っています。&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;&lt;h2&gt;現在の活動や上映会等については「サルボンからのお知らせ」をご覧ください。製作された映画・ビデオ等は「活動の概要」、あるいは「ビデオの紹介」からご覧ください。&lt;/h2&gt;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://salubong.amebaownd.com/pages/4125728/profile&#34;&gt;活動の概要&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;http://salubong.amebaownd.com/pages/6929018/page_202304151637&#34;&gt;ビデオの紹介&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;h2&gt;リンク&lt;/h2&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;figure&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;a href=&#34;https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/houjin/npo_houjin/list/ledger/0000890.html&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://www.seikatubunka1.metro.tokyo.lg.jp/houjin/npo_houjin/list/ledger/img/cmn/logo_header_citizens_culture.svg&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;small&gt;&lt;b&gt;サルボン｜東京都生活文化局&lt;/b&gt;&lt;/small&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;br&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;small&gt;法人・団体情報詳細&lt;/small&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/a&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/figure&gt;&#xA;&#x9;&lt;/div&gt;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2020 04:25:33 +0000</pubDate><guid>https://www.salubong.asia</guid></item></channel></rss>